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追悼、野尻日出揮さん~表舞台に立たぬ「人」の大切さ~

Japan In-depth / 2018年7月8日 18時0分

追悼、野尻日出揮さん~表舞台に立たぬ「人」の大切さ~


上昌広(医療ガバナンス研究所 理事長)


「上昌広と福島県浜通り便り」


【まとめ】


・プロジェクト推進には優秀な「裏方」の存在が重要。


・表舞台に立たない野尻氏が仲間に慕われた理由。


・野尻氏が身をもって示してくれた「大切なのは『人』」。


 


医療現場は大勢の人々によって支えられている。今回は医療現場の舞台裏をご紹介したい。


2018年6月26日、野尻日出揮さんが亡くなった(トップ写真)。享年70歳だった。野尻さんは、私にとっての「メンター(よき助言者)」だった。国立がんセンター(現国立がん研究センター)在籍中(2001~05年)から御指導頂いていた。


野尻さんは札幌出身で、元広告代理店社長。石原軍団の仕事をされていた。小樽の石原裕次郎記念館やキロロリゾートは、彼の仕事だ。1998年、北海道拓殖銀行が破綻した際、彼の会社は倒産した。その後、旧知の大谷喜一氏が経営するアインファーマシーズ社に顧問として招かれた。


私が、野尻さんと知りあったのは、大谷喜一氏の紹介だった。野尻さんは、過去にお会いしたことがないタイプの人物だった。彼の仕事は芸能界仕込み。医療界とは全く違った。動きが速く、ウラを読む。私はプロジェクトを進めるためには、優秀な裏方の存在が重要であることを身をもって痛感した。


2005年、東大医科学研究所にアインファーマシーズ社の寄附講座が立ち上がり、私は客員准教授として、その責任者となった。その際、アインファーマシーズ社サイドで、東京大学の関係者との調整を担当してくれたのは野尻さんだった。


当時、医療界では「上昌広にタニマチがついた」と噂が出回ったそうだ。長らくお会いしたことがない方からの連絡が増えた。その中に「都内の一等地のビルにメディカルモールをやりたい。君たちでやってもらえないか」と誘ってきた東京大学医学部名誉教授がいた。指示されたホテルのロビーに行くと、外資系コンサルティング会社のOBもいた。


野尻さんは、その面談に同席してくれた。先方の説明をじっくりと聞き、先に私を帰した。その後、私に電話があった。先方のコンサルタントに、「あの家賃で回るはずがない。お医者さんに借金を背負わせて、ディベロッパーに大儲けさせてどうするの」と断ったという。以来、彼らから連絡はこなくなった。


野尻さんからは「仕事相手は選ばないといけない」と何度も言われた。2008年にナビタスクリニック立川を立ち上げたときも、JR東日本サイドとの交渉を担ってくれたのは野尻さんだった。


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