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首相を脱走犯に例える朝日の自暴自棄

Japan In-depth / 2018年10月12日 18時0分

このコラムの冒頭をまず紹介しよう。



≪見るともなくつけていたテレビから「『逃走中』を『挑戦中』と偽り……」と聞こえてきた。はて何事かと目をやると、画面には警察署から逃走して盗んだ自転車で「日本一周」していたとされる容疑者の笑顔、別人としての人生を謳歌(おうか)していたに違いない充実の笑顔が映しだされていた。


逃げているのか。


挑んでいるのか。


その境目は実はさほど明確なわけではなく、何かから逃げている人は、何かに挑んでいる人として在ることも可能だということなのだろう。逃げるには挑むしかない――≫



高橋記者のこの記述も異様である。脱走した犯罪容疑者、しかも強盗や窃盗や強制性交、さらには逃亡による加重逃走罪という容疑を重ねてきた脱走犯を「人生を謳歌」「充実の笑顔」などと、まるでヒーロー扱いなのだ。法を破って脱走する行動を「何かに挑む人」として礼賛のように表現する。


だがこのコラム記事が本当に異様であり、気持ち悪いのは以下の記述からである。逃走犯のことを以上のように持ち上げたうえで、いきなり次の文章につながっていったのだ。



≪おや、いつの間にか私は安倍政権の話をし始めてしまっていたようだ≫ 



つまり冒頭の部分で逃走犯のことを述べているようにみえて、実は安倍政権の話をしていた、というのである。安倍政権というより、安倍晋三首相を樋口容疑者にぴったりと結びつけているのだ。この連結はどう考えても異様だろう。日本の国民が民主的な手続きを踏んで選ぶ政府の長が犯罪者と同じだというのだ。


ではその根拠はというと高橋記者の情緒的な思いつきふうの言葉の羅列だけだった。要するに首相と犯罪容疑者をあえて重ね、結びつけ、同類項扱いすることの客観的な根拠も理由もゼロなのである。



▲写真 第96代内閣総理大臣に選出された安倍氏(2012年12月26日)出典:安倍晋三facebook


同コラムは以上、紹介した部分の後はすべて安倍首相と安倍政権に浴びせる悪口だった。次のような言辞が並んでいた。基本的にはみな安倍首相にぶつけられた言葉だといえる。



≪ブレーキを踏まない≫


≪説明責任を果たすことから逃げ―≫


≪悪路であえてエンジンをふかす≫


≪自らを挑戦者のごとく演出するのがうまい≫


≪勝手に走り出したことを棚に上げて―≫



こんなとにかく安倍首相をののしりたいという嫌悪だけがあらわで、意味の不明な言葉ばかりが並べられているのだった。こんな安倍評と逃走犯人とどんな共通項があるのだろう。逃げているのか、挑んでいるのか、高橋記者にとってはわからないという点がどうも共通項らしい。


だがその前提としては逃走犯の今回の行動は最初から最後まで犯罪行為だったのに対して、安倍首相の行動はかりにも日本国の首相としての義務や権利の結果なのだ。この二つのまったく次元の異なる行動と、異なる人間とを結びつけるという高橋記者の発想はどうみてもまともとは思えない。


朝日新聞も安倍攻撃にありとあらゆる手を使い、その打倒は失敗に終わった。そのあげくに、こんな支離滅裂、意図不明のコラムが出てくるというのは、なにか自暴自棄の人間のふてくされた言動とも思えてくるのだった。


トップ画像:朝日新聞本社 出典 flickr by Lazaro Lazo


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