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「スポーツは皆で楽しむもの」スポーツの秋雑感 最終回

Japan In-depth / 2018年12月24日 1時42分

カーリングのみならず、スキーやスケートといった冬期五輪の種目は、雪や氷に閉ざされた環境で発達してきたという歴史があり、比較的高価な道具を使う場合も多いので、もともと競技人口が少ない。なにしろ「実は(夏期)五輪で、黒い顔の人ばかりが表彰台に上がるのを面白く思わなかったヨーロッパの人たちが、冬期五輪というものを考え出した」などという話が、まことしやかにささやかれていたほどである。


たしかに夏季の第一回が1896年アテネ大会であるのに対し、冬期の第一回が1924年シャモニー・モンブラン大会と、30年ほど遅く始まってはいるが、当時は有色人種のアスリートなど、ほとんどいなかった。



▲写真 1924年シャモニー・モンブランオリンピック/アイスホッケー 出典:Wikimedia Commons


基本的に、スポーツは上流階級のものだったのである。五輪のもっとも基本的な精神のひとつであるアマチュアリズムも、職業スポーツなどというものを見下す風潮の裏返し、という側面があった。こちらは歴史的事実である。


話を戻して、ウィンタースポーツが陸上競技やサッカーほど盛り上がらないのは、「自分もやってみたい」と簡単には思えない現実が、広く知られているからだろう。


最近、フィギュアスケートで注目度を高めている三姉妹がいるが、聞くところによると、彼女たちの実家は、所属クラブに支払うお金や遠征費など、年間1000万円を越す費用を負担しているそうだ。


少年野球やサッカーでも、金額の差こそあれ、似たような傾向は見られる。むしろ、大金を摘んで名選手を集めたクラブほど強い、という傾向は、ウィンタースポーツよりも顕著かと思われる。


陸上競技や水泳でも、世界大会のレベルになると、シューズや水着の性能によって記録の差が出るくらいだから、どこかの企業チームに属して広告塔とスポンサーという関係になるか、あるいは公的資金でバックアップする、いわゆるステートアマの道を選ぶ以外、事実上、選択肢がなくなってしまう。


ウィンタースポーツにこだわって、ひとつ例を挙げると、スキージャンプの某女子選手の場合、実家がコンビニを経営しているという縁もあって、そのコンビニチェーンがスポンサーになっている、という具合だ。もちろん、富裕層の子弟であれば話は別で、前述のフィギュアの三姉妹の場合は、地元では有名な実業家を祖父に持つと聞いている。


夏冬を問わず、スポーツがもともと富裕層の娯楽であったことは事実だが、今は21世紀である。企業スポーツやステートアマを頭から否定する必要はない。より多くの人がスポーツを楽しめる環境作りに資するのであれば。



▲写真 市民マラソン(イメージ) 出典:pixabay; Free-Photos


ならば、結論は簡単ではないか。企業は広告宣伝効果ばかり追い求めるのではなく、社会的責任に目覚め、国や自治体は「国威発揚」などではなく、もっと単純かつ地道な、納税者の健康増進という観点から、スポーツに出資すべきだ。


冬期五輪でメダルを取った快挙とか、流行語大賞もよいけれど、北海道の小さな町のクラブチームが世界の舞台で輝いたことの意味に、もっと注目しようではないか。


(シリーズその1、その2、その3、その4、その5、その6、その7 全8回)


トップ写真:平昌オリンピック・女子カーリング日本チーム 出典:Wikimedia Commons


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