1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

離脱論と「孤立主義の伝統」 EUと英国の「協議離婚」1

Japan In-depth / 2019年5月5日 18時0分

今回はもっぱら後段について考察したいと思うが、これはやはり「歴史問題」として見ることが、理解に至る早道だろう。


ヨーロッパの近現代史は、英独仏という三大国の勢力のバランスの上に成り立っていた。とりわけ英国には、「ヨーロッパと共にあるが、ヨーロッパの一部ではない」という孤立主義の伝統があった。これを「島国根性」の一言で片付けるのは少々はばかられるの。なぜなら、鎖国という歴史を持つ日本などとは違い、英国は「強大なヨーロッパ大陸」が出現することは国益にそぐわないとして、大陸を武力統一せんとする勢力が台頭したような場合には、必ずこれの敵側に回って戦ってきた。具体的にはナポレオンのフランスやヒトラーのドイツで、こうした大戦争に一度も負けたことがない、ということを、この上ない誇りとしている。


ところが第二次大戦後、フランスとドイツが手を握った。後に大統領となるシャルル・ド・ゴール将軍は、ロンドンにおいて「フランス亡命政府」を名乗りつつ、ヨーロッパを戦争の恐怖から解放するためには、およ400年にわたって血で血を洗う戦いを繰り返してきた歴史に終止符を打ち、恒久的な同盟関係になるべきであると考えるに至った。


ナチス・ドイツによって国を追われた彼らが、戦後の(つまり、ナチス打倒は大前提であったわけだが)方向性としてドイツとの同盟を考えていたということは、特筆に値する。



▲写真 ドイツ連邦議会議事堂NSDAP 出典:ドイツ連邦公文書館


その後、紆余曲折を経て2002年、ユーロという統一通貨を持つに至る統合の歴史と、その動きと微妙な距離を保ち続け、ユーロにも加盟しなかった英国の内情については、拙著『国が溶けて行く ヨーロッパ統合の真実』(電子版アドレナライズ)を参照していただきたいが、ここでひとつだけ知っていただきたいのは、EUにはたしかに問題があり、それは「民主主義の赤字」と表現されている、ということだ。


EUは歴史の上でもあまり例を見ない「国境なき国家連合」であり、その統治形態も、今まで一般的に「国のかたち」と考えられてきた国民国家とは、だいぶ趣を異にしている。加盟国から人口に応じた数のEU委員が送り込まれ、彼らとスタッフから成る、いわばEU官僚と呼ぶべき人たちが、事実上、各国政府に対して上位にあるのだ。


現実には委員に選ばれるのは、閣僚や政党指導者を経験した大物政治家が多いのだが、いずれにせよ選挙で選ばれた存在ではない。そのようなブリュッセル(ベルギーの首都。EU本部の所在地)の官僚たちに。移民政策から海岸の景観、家畜の飼い方(残飯を与えた豚の肉は出荷してはならないとか)まで干渉されるのでは、選挙で選ばれた自分たちの存在価値はどこにあるのかーー英国の政治家が、全員ではないにせよ、このように言いたくなるのも、理解できないことではない。



▲写真 EU本部 出典:pxhere


そうなると、そもそもどうしてEU(厳密には前身であるEC=欧州共同体)に加盟したのか、と思われるだろうが、これは、統合された市場の魅力に他ならない。


たとえばトヨタ、日産、ホンダはいずれも英国内に工場を持っているが、ここで生産された車は「英国車」であるとして、関税を払うことなくヨーロッパ大陸諸国に輸出できる。


その一方で、加盟国の労働者は、よりよい労働条件を求めて移動する自由が保障されている。つまり英国としては、なんとか単一市場にとどまったまま、旧東欧圏からの移民を規制できないものだろうか、と考えたわけだが、そんな虫のよい話が通るはずもなかった。


これが、離脱騒ぎとその後の混乱を引き起こした原因なのである。


(2に続く)


 


トップ写真:Brexit抗議活動 出典:Flickr; ChiralJon


この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください