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「鈴木貫太郎親衛隊」陸軍クーデター部隊と攻防 70年目の証言“黒幕”は四元義隆 上

Japan In-depth / 2019年8月20日 11時39分


▲写真 法廷内の血盟団事件の被告(1945年12月31日以前の撮影)出典:パブリック・ドメイン


さて話を戻す。長松は昭和20年8月11日午後3時、吉祥寺にある四元義隆の家に着いた。家には次々に若者が姿を現した。四元義隆は「命は俺が預かった」と言い放った後、具体的な任務を説明した。


「広島や長崎で原爆が落とされた。このまま戦争を続ければ、本土決戦は避けられない。ポツダム宣言を受け入れることこそが、日本の国体を維持することになる。鈴木総理は命がけで受け入れの準備をしている。ただ、陸軍はそれに強硬に反対しており、いつ反乱を起こすかわからない。総理の身になにかあれば、日本の再興は困難になる。ここにいる人が総理の警備の柱になってほしい」。


鈴木貫太郎を襲ってくる部隊がいれば、素手で立ち向え。それが四元義隆の命令だった。この親衛隊の隊長は北原勝雄。四元にとっては、鹿児島二中、七高柔道部の後輩だ。


四元の話が終わると、各メンバーの前に盃が配られた。1人ずつ、四元の前に進むと、盃にお神酒が注がれた。総理を自分の身を盾にして守ることを誓って盃を空けた。これは、親衛隊の結成式だった。



▲写真 長松氏の血判状 出典:筆者提供


長松はこの日、四元の家で泊まった。翌12日、朝起きて官邸に出向くと、内閣嘱託という身分証を手にした。それから総理官邸での不眠不休の警護が始まった。


翌13日、早くも緊迫した。長松は当時を覚えている。北原のもとに、「今晩、陸軍が襲撃する」という情報が入った。北原は長松ら3人を呼び出した。「一兵たりとも、総理の部屋に通してはいけない。命がけで立ち向かえば、お守りすることは可能だ」と鼓舞した。武器を持っていない親衛隊にとっては、身を挺して総理を守るしかない。灯火管制で真っ暗だ。懐中電灯を握りながら、親衛隊の部屋は、総理官邸の正面玄関に向かって左にあった。真夏なのに窓を閉め切っており、暑い。じっとりと汗が流れた。しかし、この日、陸軍は姿を現さなかった。みな一睡もしないまま夜が明けた。


(下に続く。全2回)


トップ写真:鈴木貫太郎内閣(昭和20年4月7日)鈴木貫太郎首相(中央)出典:パブリック・ドメイン


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