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高松丸亀商店街「まちを縮める」(上)

Japan In-depth / 2019年10月4日 18時0分


写真)高松丸亀町振興組合理事長 古川康造氏(右)


出典)著者提供


 


■ 瀬戸大橋開通の誤算


 


1988年、高松市はお祝いムードで一色だった。瀬戸大橋が全面開通したからだ。それは、四国の人々にとって悲願だった。


 


活性化の起爆剤と期待された。当時はバブル経済の絶頂期。商店街の売り上げもピークで、商店街の地価が急騰していた。中心市街地でマンションが乱立する一方で、郊外では住宅開発が行われた。


 


浮かれたムードだった。しかし、先行きに不安を抱く男がいた。前理事長の鹿庭幸男(故人)だ。古川ら若手に対して「このままだと商店街は10年ももたないぞ」と危機感を露わにした。月日がたつにつれ、鹿庭の予想が現実となる。


 


瀬戸大橋の完成で、トラックや鉄道を使った物流ルートが確立された。それまでは本州と四国を結ぶのは船だけだった。安定した物流は、大手スーパーにとって絶好の四国進出のチャンスとなった。大規模小売店舗法の規制が緩和されたのも、進出を後押しした。


 


さらに、多くの人が本州に買い物に出かけるようになり、商店街の売り上げが激減した。いわゆるストロー現象だ。商店街はみるみるうちに衰退した。


 


商店街の年間売上高はピークの1990年には300億円あったが、10年ほどで3分の1になった。居住人口も、1000人から75人にまで減少した。鹿庭の予言はピタリと当たった。


 


この間、イオンなどの巨大ショッピングセンターが次々にできた。消費者を一気に吸い寄せた。


 


■ 所有権と使用権の分離


 


若手だった古川らは全国を視察。「土地の問題を解決しないと、再開発計画は先に進まない」と判断した。そして作成した再開発計画は、前例のないものだった。土地の所有権と利用権の分離を盛り込んだ。地権者は土地の所有権を持ちながら、店の利用権を切り離した。


 


ただ、土地の問題は財産権に触れることにつながる。先祖代々の土地に手を突っ込むのは、極めてナーバスな問題である。


 


「反対する人を説得するには、精神論ではダメです。自分たちの利益を主張するより、再生計画に加わった方が得だというようにしなければならない」。


 


ちょうど時代はバブル崩壊に見舞われた。子孫に残せるはずの土地の価格が急落していた。最終的には、地権者全員が危機感を共有し、合意に至った。


 


合意の後は、いよいよ実行段階に移る。合意に4年かかったが、その後法律的な問題をクリアするのに、実に12年かかった。


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