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私のパフォーマンス理論 vol.50 -なぜ私は銅メダルを取れたのか-

Japan In-depth / 2019年12月29日 7時0分

本格的に400Hのハードル練習を行なったのは18歳の国体前9月の頭ぐらいからだったが、最初からこれならやれるという感触を掴んだ。なぜかわからないが、ハードルに突っ込むときに私は全く恐怖感なく、勢いよく入れた。短距離では遠慮がちだった、ストライドも思いっきり伸ばして良かったので、走りながら心地よかった。


100mにこだわりを持っていたが、それが厳しくなりつつあったことと、地元国体で400Hがあったこと、指導者が元400H選手だったことなど、偶然が重なり比較的スムーズに400Hに移行できた。


 


3、一人で海外で転戦した


海外の転戦を一人で行ったのが22歳の時だった。それから現役時代はほぼ毎年海外に行き試合に出ていた。基本はコーチがいなかったので一人で行き、一人で走り、一人で帰ってきた。この一人で海外に滞在し試合をした経験はとても大きかった。


とても強く覚えている瞬間がある。試合のレーン決めをする際に、ぼーっとしていたら自分が一番不利なレーンに割り振られた時のことだ。強烈に、何も主張せず待っているだけだったら、誰も助けてくれないし、誰かが自分のことを気遣ってもくれない、とにかく自分で自分の道を切り開くんだと思った瞬間だった。ずっと日本で過ごしてきた自分が、勝つために主張し打って出て、もぎ獲るんだというモードになったのはこれがきっかけだったと思う。


もう一つは、具体的に世界のトップは何が優れていて、何は弱いのかを観察できたことが大きい。世界を体験する中で、結局世界の400Hはすごいが、スプリントに頼っていてハードルを詰め切っていないと思った。特にコーチが110Hと400Hの違いをさほど気にしていないのを目の当たりにしたときに、400Hの戦略を詰めきればやれるかもしれないという希望を得た。それからハードルごとの減速と、一台目の初速を高めることにフォーカスして、メダルにつながったと思っている。


 


全体を整理すると、


・もともと身体能力に優れたが、やや内向的で、物事への執着心が強い人間だった


・あまり強制し過ぎず自由にやらせるという教育方針だった


・大学入学という転換点でハードルに転向した


・海外に一人で転戦し、世界を早めに体験し、隙間を見つけた。


おそらくこのような条件が重ならなくても、陸上であれば何かの日本一にはなっていた可能性があると思うが、そこから世界の三番までは幸運が重ならないと厳しかったと思う。半分は自分で選べないもので、半分は自分で判断したものだったと思う。特に人生の最初の段階で、人の言うことが聞けず自分でやってみるまで納得できない性格が尊重され、そのことにコンプレックスや引け目を感じることなく来たのは大きかった。これにより根本の部分で自分に自信を持つことができ、その自信が世界の最後の勝負所で効いたと思っている。本当の勝負では隠しているものが全部出てしまうからだ。


次回はなぜ、金メダルが取れなかったのかについて分析する。


 


トップ画像:Pixabay by ArtTower


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