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人類と感染症4 第一次大戦とスペイン風邪

Japan In-depth / 2020年4月18日 11時0分

さて、このスペイン風邪は大きく分けて3つの段階がある。1918年春からの「前触れ」、秋からの「第一波」、1919年暮れからの「第二波」だ。


特徴は、後になればなるほど狂暴になることだ。収まったと思えば、牙をむく。その繰り返しで、人を殺す。いったん収束しても、安心することなかれ。ウイルスは変異して狂暴化する。新型コロナに関して、決して油断してはならない。ウイルスの本質は100年経っても変わっていない。


スペイン風邪の始まりについては諸説があるが、有力なのは、アメリカ軍の基地だ。1918年3月4日、カンザス州ファンストン基地に発熱や頭痛を訴える兵士が殺到したからだ。3月だけで、233人が感染し、そのうち48人が死亡した。これがスペイン風邪とみられる。兵士は豚舎の清掃係だった。この地域は渡り鳥の大群が飛来する越冬地だ。渡り鳥がウイルスを豚に移し、豚の体内で変異し、人に感染するようになった可能性がある。この時期、学校や自動車工場、さらには刑務所などでも集団感染がみられた。



▲写真 Emergency hospital during influenza epidemic, Camp Funston, Kansas (1918) 出典:National Museum of Health and Medicine


ただ、アメリカ国内では注意を払う人は少なかった。当時は第一次世界大戦末期だ。アメリカも参戦していた。ヨーロッパの戦争に注目が集まっていたからだ。また、前述のように情報統制があったことも影響している。


スペイン風邪はその後、アメリカ国内だけでなく、イギリスやフランスなどにも広がった。軍隊から一般市民にも移った。


さらに当時は数多くの船が世界を行き来し、流行は、ロシア、北アフリカ、インド、中国にも達した。フィリピンのマニラでは港湾労働者の4分の3が寝込んでしまった。そして第一次世界大戦も、感染拡大に一役買った。ヨーロッパ戦線に送り込まれたアメリカ兵の中に感染者が含まれていた。


アメリカの地政学者のアルフレッド・クロスビーの著作「史上最悪のインフルエンザ」(みすず書房)によれば、スペイン風邪は4カ月で、地球を一周した。すでに、数万人もの命を奪っていた。


しかし、この夏になると、その感染力は衰え、アメリカに再び広まらなかった。そしていつの間にか、消えていった。当時、アメリカ国民の健康はかつてないほど良好だった。「スペイン風邪は恐れるに足らず」。前触れだったにもかかわらず、世界では楽観論が広まった。この段階で、スペイン風邪がその後、4000万人、5000万人もの命を奪うと考えた人は、いなかった。嵐の前の静けさに過ぎなかった。ウイルスが狂暴化して、大流行した様子については次回お伝えする。


(続く)


トップ写真:Spanish flu virus 出典:Cynthia Goldsmith


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