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「拉致被害者の即時一括帰国を一日も早く実現を」山谷えり子参議院議員

Japan In-depth / 2021年3月29日 23時0分

その後、政治の世界で目立った動きはなかったが、昭和63年に梶山静六国家公安委員長(当時)が、予算委員会で日本海側のアベック失跡事件について「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。





それを受け山谷氏は、「一体日本は国家なのか、とずっと思っていた。それが国会議員になろうと思った一つの大きな要因だった」と振り返った。





細川氏は、「この番組は1995年9月2日に始まり、それから26年6ヶ経った。その間、被害者5人とそのご家族が帰国したが、横田めぐみさんはじめ、まだ救い出せてない日本人被害者が多数いる」と述べた。





また梶山答弁後も「政治の問題として認識をされなかったり、政府の動きも非常に遅かった」と述べ、「何が問題を難しくしているのか。何か動かない別の理由があったのか」を聞いた。





山谷氏は、当時は日本に情報収集能力が無かったことを挙げ、「安倍内閣になってから、特定秘密保護法を作ったり、国家安全保障会議を開いたり、各国との連携が強くなって情報収集能力は格段に上がってきている」と述べた。





一方で政府の動きが鈍かった原因として、「憲法前文に『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我々の安全と生存を保持しようと決意した』と書いてある。(拉致のような)そんなことは起きないんだ、という、リアリズムとは全く反対の、眠りこけたような感覚が戦後ずっとあったのではないか」と述べた。





また、「報道ももっと沸騰しなければならなかったし、そのためには事実を知らせなければならなかった。政治家も炎のように進まなければならなかった。色々な要因があってこんなにも長い間解決できないのは本当に悔しい限りだ。正義は勝つんだと、必ず勝たなければいけないという気持ちで頑張り続けよう、と横田めぐみさんの弟の拓也さんにも話した」と述べた。





また山谷氏は、安倍内閣の時に北朝鮮の人権侵害と拉致問題の国連のレポート400ページにわたるレポートは初めて作ったことに触れ、拉致担当大臣の時に世界中にそれを説明しに回ったことを明かし、「全ての拉致被害者の即時一括帰国という最終目標を、一日も早く実現しなければならないと思っている」と決意を語った。





最後に、細川氏は、「この番組は来週が最終回になる。当初は父の細川隆一郎と『珠生・隆一郎のモーニングトーク』として、1995年に番組が始まった。2009年8月22日の放送を最後に、その3日後に父が亡くなってから、その後は『細川珠生のモーニングトーク』として私が独り立ちし続けてきた。トータルで26年6ヶ月、通算1337回、ゲスト述べ768人になった。山谷氏には多数出演してもらったが、特にお礼を言いたいのは、私が出産の時、代わりに出演をして父の相手を務めていただいたこと。山谷氏もサンケイリビングの編集長を務められて、ジャーナリストのご出身。お父様の山谷親平さんも産経新聞の記者で、私の父とは記者仲間として、本当に両家の付き合いは長い」と述べた。





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