中国共産党100年史とアメリカ その3 日本が共通の敵だった
Japan In-depth / 2021年11月11日 1時0分
その抗日の戦いをアメリカは陰に陽に支援していたのだ。だからアメリカ側では反日がイコール、中国共産党支援に結びつくという部分があったのである。
反日を基礎とするアメリカの中国共産党支援は日本とアメリカの戦争が始まってからはさらに顕著かつ公式となった。
1941年12月に日本が真珠湾を攻撃し、アメリカとの全面戦争に突入してからはアメリカは中国にも正面からの直接の軍事援助から戦闘支援までを与えるようになった。
日本は中国との全面戦争は1937年7月の盧溝橋事変からだった。その時期の日本の正面の敵は蒋介石が率いる国民党の政権と軍隊だった。
だが中国共産党もまだ戦力は小規模だったとはいえ、国民党との国共合作の大方針の下に日本軍への戦いを挑んでいた。
アメリカ政府の軍事援助の主対象はあくまで国民党の政権とその軍隊だったが、中国共産党にも連携や支援の手を差し伸べたのである。
アメリカが中国共産党に正式の使節団を送ったのは日米戦争も後半に入った1944年7月だった。この使節団は正式には「アメリカ陸軍視察団」という名称だったが、通称としてディキシー使節団と呼ばれた。ディキシーはアメリカの南部諸州を指す通称だった。
この使節団の中国共産党にとっての意義は大きかった。アメリカとの正式の軍事面での協力の絆を意味したからだ。
アメリカ側でのこの使節団の総責任者は陸軍のジョセフ・スティルウェル将軍だった。スティルウェルはアメリカ陸軍士官学校出身の職業軍人だったが、若いころから中国に武官などとして在勤し、中国事情に詳しかった。
▲写真 中国の蔣介石と米陸軍司令官ジョセフ・スティルウェル(1945年) 出典:Photo by American Stock/Getty Images
彼は当初は国民党軍で蒋介石の参謀長となり、日本軍や共産党軍との戦闘で作戦を助言した。だが日米戦争が始まると、米軍の中国・ビルマ・インド戦域陸軍司令官となり、日本軍と全面戦闘に入った。そして1944年には中国共産党の人民解放軍との連携のために同使節団を派遣したのだった。
このころの共産党の本拠は陕西省の山岳地帯、延安にあった。洞窟を多数、使った本拠地だった。
(その4につづく。その1、その2。全5回)
**この記事は日本戦略研究フォーラム季報2021年10月号に掲載された古森義久氏の論文の転載です。
トップ画像:天津に入る日本軍(1937年8月4日) 出典:Bettmann / GettyImages
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