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日本外交の診断 兼原元国家安全保障局次長と語る その3 日本の対中ODAがモンスターを育てたのか

Japan In-depth / 2022年3月27日 23時1分

古森 文化大革命を経験した中国人は、歪(ゆが)んだ人生観や社会観を持って成長したともいえそうですね。





兼原 皮肉なことに理系の世界では〝空白の10年〟は決してマイナスに働いていないのです。上につっかえている頭の古い高齢の科学者がいませんから、最先端の技術を持った若い科学者や技術者がどんどん這(は)い上がるチャンスがある。それが中国の強みにつながっています。





 しかし文系の世界では、文化大革命に翻弄(ほんろう)された視野が狭い世代が共産党幹部に居座るようになってしまった。習氏は、日本で学んだ蔣介石(しょうかいせき)のように、国際的視野が広い指導者ではありません。温家宝(おんかほう)前首相のように、伝統的な中国宮廷官僚然とした深い教養があるわけでもない。共青団出身のエリートである李克強首相は、本音では「習さん、もっと広い視野持ってよ……」と思っているでしょう(笑)。





古森 20年ほど前にも、当時外務省の局長クラスだった王毅氏と話したことがありますが、彼も文化大革命の影響でほとんど勉強してこなかった世代です。しかし彼は、そのことを誇りにするようにもみえました。





兼原 文革世代は「強い者は何したっていい」という歪んだ考えを持っていると思います。彼らは、今後10年間は中国政治の実権を握っている。この10年が日本にとって正念場です。









▲写真 1949年に中華人民共和国が建国されてから70周年を祝うパレード (2019年10月1日、中国・北京・天安門広場) 出典:Photo by Kevin Frayer/Getty Images





古森 歴史を振り返れば、中国という反日モンスターをつくりあげたのは、戦後日本の外交政策です。





 まず中国が貧しい1970年代末から、日本は巨額の経済援助をODA(政府開発援助)という名目で与え続けた。日本からの対中ODAは40年間に総額3兆6000億円にも達しました。中国の軍事力の増強にも直接といえる寄与をしています。





 天安門事件の後、孤立した中国を西側に引き戻そうと一番努力したのは日本でした。天安門事件における自国民虐殺で制裁を受けた中国政府は、日本の天皇の来訪を突破口にして制裁打破へと動くことに成功したのです。そのことは、外務大臣(当時)だった銭其琛(せんきしん)が回顧録で自慢げに明言しています。





兼原 私は中国に駐在した経験はありませんが、出張で訪れた80年代の中国は、毛沢東が死に、文化大革命が終わっていまだ10年くらいで本当に貧しかった。日本は、戦争に対する贖罪意識から対中援助に動いた面もありますが、当時はなによりソ連が敵だった。中国は敵の敵で味方でした。また戦後、吉田茂が最初は北京との国交正常化を考えたように、中国が成長を遂げる前に友好関係を築いて反日の芽を摘もうという計算もあったと思います。





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