陰謀説の危険 その3 日本を傷つけた捏造文書
Japan In-depth / 2022年5月30日 15時29分
しかも中国では日本が敗北した後もこの「田中上奏文」を歴史上の事実として扱い、高校生用の歴史教科書では史実として記載し、生徒たちに教えていた。なんと私が産経新聞中国総局長として北京に駐在した2000年の時点でもこの世紀の捏造文書が事実として中国の若者たちに教えられていたのだ。これこそ陰謀説が事実や現実の領域に組みこまれる悪例の極致だといえよう。
「田中上奏文」がまったくの捏造だったことは戦後まもない東京裁判の過程でも立証された。
その後のアメリカの歴史研究でも再三再四、偽造であることが裏づけられた。だが中国では2000年の時点でなお歴史教科書で事実として教えられていたのだ。
中国の高校生用の歴史教科書「世界近代現代史下巻」は1920年代後半の日本の動きについて、まず田中義一内閣が中国大陸への侵略的政策を強めたことを強調していた。
以下のような記述だった。
「1927年、軍閥の田中義一が組閣を果たし、中国への武力干渉を強めるようになった。日本は中国の山東省へ出兵し、『済南事件』というのをでっちあげ、とくに中国東北部への侵略を進めた。田中内閣は『東方会議』で『対華政策綱領』を制定し、中国東北部と内蒙古は中国本土とは区別して考えることを明示するようになった。この考えは事実上、東北部と内蒙古は中国から分割し、日本が占領するという方針だった」
同教科書は田中内閣のそうした侵略性の根拠として「田中上奏文」を紹介していた。生徒の目を特に引くように特別のコラム風の囲みの記述だった。
「1929年、中国の雑誌が(田中内閣の)『東方会議』の秘密文書の存在を報道した。その文書は『田中上奏文』とされ、『支那を征服しようと欲すれば、まず満蒙を征服せねばならない。世界を征服しようと欲すれば、まず支那を征服せねばならない。わが国は満蒙の利権を手に入れ、満蒙を拠点に貿易などの仮面で支那四百余州を服従させ、全支那の資源を奪うだろう。支那の資源をすべて征服すれば、インド、南洋諸島、中小アジア諸国、そして欧州までもわが国の威風になびくだろう』という内容だった」
この捏造文書には「中国を制圧するにはアメリカを倒さねばならない」とも書かれていた。だからアメリカへの挑戦と受けとられた。日本の侵略性を全世界に対し、いっきょに印象づける歴史的な文書とまでされたのだった。日本の立場を悪くする世紀の陰謀説文書だったわけである。
陰謀説というのは一国の運命を変えるほどの重大な危険をも発揮しうるという歴史上の実例だったといえよう。
(その4につづく。その1、その2)
トップ写真:第26代内閣総理大臣・田中義一(右)(1921年頃)「田中上奏文」は戦後、捏造と立証された。 出典:Photo by Buyenlarge/Getty Images
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