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8月15日は「終戦」記念日なのか?

Japan In-depth / 2022年8月16日 11時44分

 ・韓国(8月15日)


 「光復節」(日本の植民地支配からの解放を祝う日)


なるほどね。それでは8月15日または9月2日は日本にとって「敗戦」記念日なのか。色々調べてみたが、今のところ戦争に敗れた日を「敗戦」記念日としている国は見当たらない。そうであれば、日本政府がポツダム宣言を受諾し日本軍に武装解除と連合軍への投降を命じた8月15日が「終戦」記念日となっても不思議はない。







▲写真 ダグラス・マッカーサーが日本の無条件降伏を受け入れる様子 出典:Photo by Keystone/Hulton Archive/Getty Images


それでも、誤解を恐れず、敢えて筆者は「敗戦」にこだわり続ける。これは決して自虐的発想ではない。あの戦争が「敗戦」であったことを忘れてしまえば、「なぜ勝てなかったのか」という発想は決して生まれない。単に「悲惨な戦争は二度と繰り返してはならない」という一般論で議論が止まってしまう恐れすらあると思うからだ。


筆者だって戦争は戦いたくない。外務省時代はイランイラク戦争、湾岸戦争、テロとの闘いからイラク戦争まで、最近の中東での戦争の現場は他の同僚の誰よりも知っているつもりだ。当然、戦争なんて「真っ平御免」なのだが、同時に、戦争を抑止することが「如何に難しいか」も体験的に学んできた。


ウクライナ戦争の例を挙げるまでもなく、人類にとって戦争ほど、多くの人に否定されながらも常に起こり続けるものはないだろう。されば、筆者にとって「戦争」に関する教訓は、①戦争は避けるべきだが、②戦争を戦わなければならない状況は常に生起し得る、その際大事なことは、③負ける戦争を戦ってはならないのと同時に、④勝てる戦争のみを、出来れば戦わずに勝つべし、というものだ。


そのためには1945年の「敗北」の理由を冷徹に検証する必要がある。「戦争責任論」では決してない。日本で77年も平和が続いたことは慶賀すべきことだが、同時に、我々が戦争の本質を忘れてしまっている恐れもある。その本質を正確に理解するためにも、我々の先達が1930年代以降に犯した過ちを覚えておく必要があるのだ。


〇アジア


二週間前のペローシ下院議長に続き、先週末、民主党のエド・マーキー上院議員率いる議員5人が訪台、台湾当局首脳を表敬した。地域の安全保障や貿易、投資などの問題について話し合ったというが、中国は直ちに反発し、再び軍事演習を行った。台湾付近の軍事的プレゼンス強化が「常態化」することは間違いなかろう。


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