1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

ベトナム難民のその後

Japan In-depth / 2022年9月15日 23時0分

妻のニュンさんは小児科の医師だった。私はニュンさんの出身のフランス系学校の同窓生たちを知り、彼女の知己を得た。するとまもなく彼女は自分の夫のデさんが南ベトナム領内中部で革命勢力に捕らわれ、医師として働かされていることを告げた。


内科医のデさんは中部のビンディン省という地方の公立病院で働いている間、北ベトナム・南ベトナム民族解放戦線、いわゆる革命勢力の攻撃を受けて、捕虜になり、そのまま革命側の支配する地域で医師として働くことを余儀なくされた、というのだ。


その後、偶然にも私は革命勢力から招かれ、南ベトナム領内の革命地区に入って、取材することを認められた。しかもその地区がビンディン省だった。山岳地帯の村落をいくつか訪れ、住民たちの生活、その背後にいる北ベトナムの軍隊の演習などをみせられ、通算10日間ほどを過ごした。その間、私の案内役となっていた革命側の政治委員たちにグエン・デ医師の消息を尋ねてみた。すると、意外にも「デ医師は私たちの革命の大義に共鳴して、この地区で医療にあたっています」と答え、面会もできると告げたのだった。


そして革命側はデ医師を連れてきて、私との面会を許した。彼の様子をひとめみて、自分からその地区に残ったのではなく、実際には拘束であることがわかった。だが記憶に残る面会だった。私は南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)に戻り、そのことを妻のニュンさんに伝えた。ニュンさんが実家の玄関前の闇で涙をぬぐう姿はいまも覚えている。


しかしその数ヵ月後、デ医師は大嵐の夜に川に飛び込み、長時間、泳いで脱出を果たしたのだった。ただしそのまた半年後には革命勢力の北ベトナム正規軍大部隊がサイゴンに攻めこみ、南ベトナム政権を粉砕した。ベトナム戦争の終わりだった。グエン一家はその直前にアメリカへと退避していた。難民としてアメリカに受け入れられたのだ。


以後の40余年、デ、ニュン夫妻はともに苦学の末にアメリカの医師資格を取得した。そして勤勉に働いた。その間、2人の娘も一流の医科大学を出て、長女のドーンさんは整形外科医となった。次女のアリーンさんは麻酔専門の医師となったわけだ。まさにベトナム難民の成功物語だった。同時にアメリカという国はこうした外国からの移民、難民やその子孫が社会の中核を築いているのだという現実の発露だともいえよう。


 ワシントン地区の病院に勤務するアリーンさんは父が亡くなって10年、彼の革命地区での様子をもっと詳しく知りたいと、私を訪ねてきたのだった。


なお私はこのグエン一家とのかかわりを『ベトナム報道1300日』(筑摩書房、講談社文庫)と『ベトナムの記憶』(PHP研究所)という自著のなかでも詳しく報告した。



『ベトナムの記憶』、古森義久、PHP研究所


 


 


 


 


 



『ベトナム報道1300日』、古森義久、筑摩書房、講談社文庫


 


トップ写真:フランスの上陸用舟艇に乗り込むベトナム難民 1954年8月15日


出典:Photo by Bettmann/Getty Images


この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください