国葬は閑散、国民葬は長蛇の列(上)国葬の現在・過去・未来 その3
Japan In-depth / 2022年9月22日 7時0分
ただ、出自はともかく山県自身は文武両道の才能を備えていた。
身長172センチほどで、当時の日本人としては図抜けた長身であり、宝蔵院流槍術でも腕前を高く評価されていた。
当人もこのことが自慢で、自分のことを終生「一回の武弁」すなわち生まれつきの軍人だと称していたが、一方では、歌道や庭造りにも造詣が深かった。明治初期、黒田家の下屋敷を買い取った際、自ら設計・指揮して壮大な庭園をこしらえたこともある。現在の椿山荘だ。
一方では、リウマチの持病に長年苦しめられたという事情もあって、生活は質素倹約、乾布摩擦など、健康に気を遣っていた。個人で健康に気を配るだけなら、大いに結構なことであるが、この「質素倹約の軍人精神」がやがて「物量の差は精神力で逆転し得る」という、もはやカルト宗教じみた精神論に転化されたことは看過できない。
ともあれ長州の志士たちの中にあって「屈指の武闘派」であった山県は、1863年秋、徳川幕府による長州征伐に対抗すべく、高杉晋作が旗揚げした奇兵隊にはせ参じ、軍監(副隊長に相当する)に抜擢された。この年のはじめには、
「尊皇攘夷の正義をよくわきまえ、殊勝である」
として武士身分に取り立てられている。
司馬遼太郎も書き残しているが、この時期の長州は、藩をあげて一個の革命集団と化したような趣さえあった。それだけに多くの若者が非業の死を遂げ、そのことがまた、現在に至るも長州人のプライドのよりどころとなっていることは、前回述べた通りである。
1869(明治2)年、西郷従道(隆盛の実弟)らと共に欧米を視察旅行して、帰国後は兵部省の再編に当たった。兵部省というのは国土防衛や治安維持を主任務とする、今の防衛省に相当する官庁で、諸外国では国防省と呼ぶのが普通だ。
ともあれ、もとは単一の官庁であったのだが、いかなる目論見によるものか、陸軍省と海軍省とに二分された。1872(明治5)年のことである。
同時にこのことは、山県を頂点とする長州人脈が陸軍の、一方、西郷らの薩摩人脈が海軍の主流を占めたことを意味する。事実「長の陸軍、薩の海軍」と呼ばれていた。日本海軍隊の育ての親と称される山本権兵衛、連合艦隊司令長官としてロシアのバルチック艦隊をワンサイドゲームで屠った東郷平八郎が、いずれも薩摩出身だ。
ただ、日露戦争の当時すでに「薩の海軍」の方は出身地などにこだわらず、秀才をさらえこむようになったが、山県が作り上げた「長の陸軍」は、依然として人脈が生きていた。嘘か本当か知らないが、陸軍大学校の入試に際して、答案用紙に「山口県出身」と書くと、自動的に点数が加算された、などという話まである。
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