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日本が育てた覇権国家中国 日中国交50年の反省 その1

Japan In-depth / 2022年10月5日 15時0分

 要するにお金を中国にあげるということだったのだ。いまのアメリカでは中国への過去の関与政策がまちがいであり、その関与の結果、アメリカや日本に襲いかかってくる怪物、つまりモンスター・中国をアメリカがみずから作り出してしまったのだ、という反省がしきりである。しかし日本のODA供与はアメリカの対中関与よりずっと中国側の利益に密着した寄与だったといえる。なにしろ日本の政府の資金を中国政府に進呈するのだから。モンスターを育てたという点では日本の罪の方が重いといえる。


 なにしろ1979年から毎年、数千億円という巨額の資金を中国に提供したのである。その方法には単に無償で贈与してしまうのと、貸与、あるいは借款ということでやがては返済してもらう有償というのとがあった。


ただしその有償でも中国側の返済は長期の30年、金利もゼロに近い低利で実際には贈与と変わらなかった。だからODAと呼ばれたわけである。他国に資金を貸すという商業性はなかったのである。


 ただしアメリカは当時も中国にODAを与えることはしなかった。政府の公的資金、つまり国民からの税金を中国に贈呈するという日本方式まではとらなかった。その理由はたぶんに海外援助法という規定のなかに共産主義国家にはアメリカの政府援助は与えないという一項があったためだった。


日本にはそもそもODAを規定する法律さえなかったのである。


 


【さらなる経済援助】


 日本から中国への経済援助は実はODAだけではなかった。ODA開始と同じ1979年から「資源ローン」という名称の政府資金が中国に提供され始めたのだ。ODAに似たカテゴリーの同じ経済援助だった。日本側でこの資金を出す母体は大蔵省と日本輸出入銀行だった。


この対中「資源ローン」は中国側の資源開発という名目で、ODAと同水準の巨額だった。ODAとの差は供与の貸付条件としての金利がいくらか高いだけだった。その金利も一般の融資や貸付とは異なり、経済援助という定義に合致する寛大な低率だったのである。


 この中国への「資源ローン」の総額は1999年までに3兆3000億円と、その時点でODA総額を越えていたのである。


(つづく)


トップ写真:北京の人民大会堂で友好協定に調印する田中角栄首相と周恩来首相  1972年08月29日 中国・北京


出典:Bettmann/Getty Images


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