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「天下第1の村」華西村の光と影(上)

Japan In-depth / 2023年6月4日 11時0分

その工場は決して大きくはなかったが、生産開始後,村全体の収入が増加した。1976年、華西村工業の副業生産額は28万2000元に達し、村人1人当たりの所得が大幅に上昇したのである。





1980年、北京政府の農村改革(「契約責任制」)の実施に伴い、土地を各世帯に分配する必要に迫られた。だが、華西村は人口過多で土地が少ない。もし、一律に土地分配を行えば、各世帯に少しの土地しか配れない、と呉仁宝は考えた。





そこで、呉仁宝は華西村の実情に合わせ労働力を合理的に配分し、“農業と工業の同時発展”を目指したのである。





呉仁宝は20~30人の優秀な農業従事者に5~600ムーの土地を契約させ、彼らを農業への従事に特化させた。そして、残りの人材で郷鎮企業を発展させることにした。





その直後、呉仁宝は製鉄所や紡績工場などの建設に奔走している。同時に、呉仁宝は“集団所有”にこだわり、村民一人ひとりが村の企業に貢献することを奨励した。こうして、村民の労働意欲も高まった。 





1992年、鄧小平の「南巡講話」後、呉仁宝は、近い将来、“工業の発展”は必ず新しいピークを迎え、これもまた華西村発展のチャンスとなると考えた。





そこで、同年3月、呉仁宝は会議を開き、極めて重要な決断をした。江陰市銀行から1000万元を借り入れ、その全額で建材の原料を購入している(当時、1000万元といえば、天文学的な金額だった)。





ところが、2ヶ月も経たないうちに、呉仁宝の予想通り、これらの原材料価格が急騰し、華西村は巨額の利益を得た。これで華西村は金持ちになる道に一歩近づいている。





1994年、鉄鋼、繊維、化学工業など45社を保有した「華西集団」が設立された。これで、華西村の名声は一気に高まった。華西村に学ぶため、あるいは、観光するため、村を訪れる人が急増している。呉仁宝は観光業にも目を向け、ホテルや観光施設を建設し、外地観光客を誘致した。





中でも、華西村の各世帯から1000万元を拠出して建設された「龍希国際ホテル」(総投資額30億元)は有名である。観光、会議、娯楽等、必要なものはすべて揃っていた。





特筆すべきは、このホテルの60階に「時価3億元の黄金牛の像」があることだ。さらに、ホテル最上階にヘリコプター離着陸場もある。村はヘリコプターを2機購入し、観光客向けに「華西からの空撮」を専門に行った。





華西村の観光開発が進んでから、村は年間250万人の観光客を受け入れた。そして、鉄鋼、紡績、観光が当時の華西の三大柱産業となっている。





1999年、華西村は証券取引所への上場に成功した。その時、華西村企業の総資産は550億元に達していたという。 





(下につづく)





 





〔注〕





(a)『中国瞭望』「華西村の豊かさと衰退:一人毎のベンツや別荘から村全体400億元の負債まで」(2023年5月28日付)





(https://news.creaders.net/china/2023/05/28/2609608.html)。





**本記事は、上記事「華西村の豊かさと衰退:一人毎のベンツや別荘から村全体400億元の負債まで」(2023年5月28日付)の翻訳です。





トップ写真:江陰市華西村の龍渓ビルとタリン公園 出典:jia yu/Gatty Images




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