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鮎川義介物語⑦陸軍はフォードなど外資締め出し狙う

Japan In-depth / 2024年1月7日 18時0分

陸軍が国産車の製造を決断した背景には何があるのか。私は調べました。「熱河作戦」が影響していることが分かりました。旧満州を制圧した関東軍は昭和7年3月に満州国建国を宣言しましたが、翌8年2月には、熱河省にも侵攻しています。





関東軍はこれまで旧満州を制圧する際には、鉄道網を活用していたのですが、熱河省では、鉄道はほとんど敷設されていません。そこで、使ったのは、戦車と自動車です。抗日を叫ぶ張学良の正規軍らを相手にした戦いです。4日間で400キロも走破した。わずか3カ月でスピード制圧できたのも、日本軍の兵站輸送に機動力があったためだ。





NHKのドキュメント昭和史(P42)は、





「当時、関東軍には野戦自動車隊三個中隊があった。『ちよだ』『スミダ』といった、陸軍の指導のもとに製造された軍用保護自動車が、その主力であった。しかし、熱河作戦を遂行するには車両の台数が足りず、大幅な増強が必要であった。そこで新たに四個中隊を加え、さらに戦線の拡大にともない、ついには十三個中隊という自動車隊ができあがったのである。





もちろん、これだけの規模の自動車部隊を編成するには、国産の軍用自動車だけではとうてい足りない。そこで、民間からの徴用がはかられた。『自動車第一連隊史』によれば、例えば第四中隊はシボレー、第六中隊はフォードで編成されたといわれる。そしてこのシボレーやフォードのトラックが、目をみはる活躍をみせたのである」。





アメリカ車は、国産車との性能の違いが浮き彫りになったです。陸軍はこうしたことを踏まえ、外資に依存するリスクを認識したのです。





このスタンスは、商工省と鮎川とは対極的でした。





(その⑧につづく。①、②、③、④、⑤、⑥)





トップ写真:満州国の様子、1937年ごろ 出典:Hulton Archive/Getty Images




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