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鮎川義介物語⑭「日産株が世の中を明るくする」

Japan In-depth / 2024年1月23日 9時10分

鮎川義介物語⑭「日産株が世の中を明るくする」




出町譲(高岡市議会議員・作家)





【まとめ】





・昭和12年7月7日、盧溝橋事件が勃発。日中戦争が始まる。





・アメリカの資本や技術を望めない状況となった。





・それでも、日産株は一気に7割も高騰した。





 





満州進出を決めた鮎川義介ですが、前回お伝えしたように、アメリカからの資金や技術を導入しようとしていました。





しかし、その計画は暗礁に乗り上げます。日本と中国の間で大きな事件が起きたのです。盧溝橋事件です。日本軍は昭和12年7月7日夜、北京西南50キロの盧溝橋で、夜間演習中していた際、暗闇から銃撃を受けたのです。打ち込んだのは、中国軍として、日本軍は八日午前5時半に反撃しました。





陸軍では、すぐに発砲事件、武力衝突が知らされました。陸軍がちょうど、定例の課長会議を開いているときでした。





この日は気温が高く、昼前に30℃を超えていました。会議の中では、「中国を徹底的に叩け」という意見が大勢を占めたのです。会議をリードしたのは、軍務局軍事課長の田中新一大佐でした。東条英機をリーダーとした新統制派の中枢人物で、満州派の石原莞爾らといつも対立していたのです。





これが日中戦争の始まりです。それ以降、天津や上海など戦闘地域が拡大し、日本は泥沼の戦争に突入していくのです。それは、アメリカの対日感情悪化につながっていきます。アメリカらの資本や技術を望めない状況となったのです。





さて、昭和12年11月20日の日産の株主総会で、鮎川は、満州進出に関連して、大演説を打ち上げました。





「日産は移るのですが、子会社は移転するわけではありません。普通の会社であったなら、満州国に移るには、工場を持っていかねばならない。お金を持っていくとすれば、工場で得た利益しか持っていけない。しかし、日産は持ち株会社であり、資産は工場や鉱山でなく、株券だ。したがって、株券をそのまま飛行機で持っていける。その株券を担保にしてお金を借りることも可能だ。その株券を持って行っても、子会社の工場はそのまま業務を行うことは可能なのです」。





その上で、こう指摘しました。





「世間では日産が満州国を飲み込んだという指摘もあるが、それは大変な間違いだ。むしろ日産は満州国に飲み込まれたようなものだ。満州国が半分の株式を持っているので、あと株を一株買い足せば、過半数取得することになる。煮るのも焼くのも満州国次第ということになる」





さらに、日産が2億5000万円、満州国が2億5000万円出資することを明らかにしました。日産の5万5000人の株主は、自分の会社が満州で何をやっているのか、新聞を手にすればわかる





と主張しました。





その後、質問の時間になりました。株主の中からは「鮎川社長、よくやった」「満州でも頑張ってくれ」と、絶賛する声ばかりとなった。すると、鮎川は「私を褒めるのはもうやめて、経営に対する質問だけにしてくれ」と言い出すありさまでした。





この株主総会は、伊藤博文の息子である伊藤文吉の万歳三唱で終えました。日産株は一気に7割も高騰し、兜町では「日産株が世の中を明るくし」という川柳までが流行ったのです。





(⑮につづく。①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨、⑩、⑪、⑫、⑬)





トップ写真:関東軍の兵士達(1938年頃 満州)出典:Photo by Underwood Archives/Getty Images




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