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「高岡発ニッポン再興」その133「人間尊重」の経営が復興にも

Japan In-depth / 2024年2月20日 0時17分

相馬工場の源流をたどると、土光敏夫にいきつきます。土光は、終戦直後に航空機エンジンへの参入を決断しました。焼野原から立ち上がるには、技術的に最も困難だといわれる航空機エンジンの製造に力を入れるべきだと考えたのです。朝鮮戦争直後でした。





土光は社員を集め、「航空機エンジンに社運を賭ける」とアピールしたのです。机をたたきながら、話しましたが、力を入れすぎ、拳が血で赤く染まったといいます。





田無工場には、戦前海軍で活躍した技術者が集まりました。若手にチャンスを与え、大きな仕事を任せたのです。





その田無工場が手狭になったため、相馬工場が建設されたのです。つまり、土光イズムは田無工場、そして相馬工場に伝わったのです。どうしてスピード復旧したのでしょうか。私は当時の社長、釜和明さんに話を聞きました。





釜さんは「土光さんの時代から現場が生き生き働く風土がある。パートを含めた従業員を非常に大切するから、従業員は不眠不休で復旧のため働いた。土光さんの理念を引き継ぐことが大切だ」と強調します。





土光敏夫という1人のリーダーの存在は、その後の会社経営にも大きく影響しているのです。リーダーはいかに大事なのか。私はそれを痛感しました。





出町ゆずるホームページ





トップ写真:東日本大震災直後 放射線防護服を着た警察官らが津波犠牲者の遺体を捜索している様子(2011年4月15日 福島県南相馬市)出典:Toshifumi Taniuchi/Getty Images




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