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原点に戻ることの大切さ   核のない世界を諦めない その6

Japan In-depth / 2024年5月2日 17時0分

原点に戻ることの大切さ   核のない世界を諦めない その6


林信吾(作家・ジャーナリスト)


林信吾の「西方見聞録」


【まとめ】


・『ゴジラ』は、反戦・反核のメッセージを伝えるべく製作された映画で、近代戦の脅威を象徴したもの。


・『ゴジラ-1.0』の素晴らしさは、ゴジラが核兵器や放射能の恐ろしさを象徴していたという原点に戻ったこと。


・国際紛争解決のために武力を用いること自体を禁止しようという、アインシュタイン博士の発想に立ち戻るべき。


  


 今春公私が見た映画の中で、個人的に『オッペンハイマー』以上のインパクトを受けたのは『ゴジラ-1.0』であった。タイトルは「ゴジラマイナスワンと読む。


 私はゴジラに対する思い入れが強い。


拙著『正しい邦画のミカタ』(アドレナライズ)の中でも述べさせていただいたが、生まれて初めて映画館という所へ行き、大きなスクリーンで見たのが、1965年公開の『怪獣大戦争』であったのだ。当時私はまだ7歳で、父親に連れて行ってもらった。


同じく前掲書でも述べたことだが、昭和世代の男の子は『名探偵シャーロック・ホームズ』や『怪盗ルパン』によって読書と出会い、一連の「怪獣もの」や「特撮もの」によって映画と出会ったというケースが多い。ほどなくTVの時代となったが。


ご存じの読者も多いかと思われるが、第一作目の『ゴジラ』は1954年に公開されている。この映画の最後で「初代ゴジラ」は絶命するのだが、大ヒットしたため翌55年には『ゴジラの逆襲』が公開された。つまり、いわゆる昭和ゴジラは二代目ということになる。


第三作が『キングコング対ゴジラ』(1962年)、第四作は『モスラ対ゴジラ』(1964年)で、このあたりまでゴジラは悪役だった。


しかし、第五作となる『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)において、首が3本、尻尾が2本という宇宙怪獣キングギドラが初めて登場し、以降ゴジラの宿敵となる。地球征服を目論む宇宙人が、このキングギドラを送り込んで暴虐の限りを尽くすのに対し、ゴジラと巨大な怪鳥ラドンが敢然と立ち向かう、というストーリー。早い話が、ゴジラは宇宙怪獣から地球を守る、という役回りになった。私が見た『怪獣大戦争』もその流れで、第六作ということになる。昭和世代には忘れがたい「シェー」まで披露してくれた笑。


いずれにせよ、私が初代『ゴジラ』に出会ったのは、多少あやふやな記憶ながら、たしか高校生になってからだと思う。


これはこれで印象深かった。


1954年3月1日、米軍は南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行ったが、この際、約160㎞離れた場所にいたマグロ漁船「第五福竜丸」が、放射性物質を含んだ「死の灰」を浴び、23人の乗組員全員が被爆。通信士が半年後に落命するという事件が起きている。


これに想を得て製作されたのが『ゴジラ』で、前述の水爆実験の結果、ジュラ紀の恐竜が被爆して巨大怪獣へと変態してしまい、やがて東京湾に上陸するというストーリーだ。


これも『正しい邦画のミカタ』の中で、最も印象に残ったシーンのひとつとして紹介させていただいたが、ゴジラの足音が迫る中、逃げ場を失ってビルの陰にうずくまった若い母親が、腕の中の幼い子供に、


「もうすぐ、お父さんのところに行けるからね」


 と語りかける。


 1955年の東京と言えば、まだまだ戦争の傷跡が残り、明確な台詞などはないながらも、この母親はいわゆる戦争未亡人であったことが暗示されている。


 一方では経済復興が軌道に乗ってきた時期で、奇しくも翌年、すなわち1956年7月に発表された『経済白書』の中には、


「もはや戦後ではない」


 という、あまりにも有名な文言があった。


 以上を要するに、そもそも『ゴジラ』は、反戦・反核のメッセージを伝えるべく製作された映画であり、復興途上にあった東京を再び死の街と化してしまうその姿は、東京大空襲、そして広島・長崎を彷彿させる、近代戦の脅威を象徴したものに他ならない。


 ゴジラという名は、イメージをスケッチした際、恐竜と言うより「ゴリラとクジラのミックスみたい」などと評されたことに由来する、というエピソードはちょっと笑えるが、映画の世界観は、まったくもって笑い事ではない。


 その後、前述のように悪逆非道な宇宙怪獣に立ち向かう正義の怪獣、みたいな役回りを与えられることとなったのだが、ゴジラが目的意識的に「人類の味方」をしているようには見えなかった。結果的に「敵の敵は味方」という役割を果たしたと言えばよいか。


 いずれにせよ『ゴジラ-1.0』の素晴らしさは、原点に戻ったことである。


「ゴジラ生誕70周年」を記念して製作されたとのことだが、時代はやや古い、と言っては語弊があるかも知れないが、1945年8月の敗戦前後である。


 1945年夏、神木隆之介演じる日本海軍の敷島少尉は、特攻隊の一員として出撃するが、零戦のエンジントラブルを理由に、小笠原諸島の大戸島にあった守備隊の滑走路に不時着する。実はこのトラブルは虚偽で、青木崇高演じるヴェテラン整備兵から、


「どうせこの戦争は負けだ。一人くらい、あんたみたいなのがいてもいい」


 などと、慰めだか嘲笑だか分からないようなことを言われる。


 その夜、島の伝説として語り継がれる、恐竜のような生物「呉爾羅(ゴジラ)」が現れ、守備隊に甚大な議害を出す。橘は敷島に、零戦の20ミリ機銃でゴジラを撃ってくれ、と頼んだが、恐怖で身がすくんだ敷島は撃てない。その結果、多くの整備兵が犠牲になったとして今度は橘から面罵される。


 そのようなトラウマを抱えて帰還した敷島だったが、東京は焼け野原で、隣家の女性から、両親が空襲で亡くなったことを知らされた。


 失意のうちに闇市をさまよっていた彼は、同様に空襲で家族を亡くした少女・典子(浜辺美波)と、彼女が見知らぬ人から託されたという赤ん坊の明子に出会い、なぜか同居する羽目になってしまう。その後彼は、米軍が日本近海に対数投下した機雷を除去する仕事に就き、危険と引き換えに高額の報酬を得るようになった。


 そんな折、1946年夏に、米軍が前述のビキニ環礁で核実験を行い、被爆したゴジラは細胞に異常を来し、体長50メートルもの巨体と(呉爾羅は約15メートル)、放射能を含んだ炎を口から吹き出す能力を身につけていた。


 そのゴジラが東京に上陸するのだが、駐留米軍(=米占領軍)は、ソ連邦を刺激することを怖れて、軍事行動はとらない、との判断を下してしまう。


 そこで、掃海事業に加わっていた元海軍技術将校(吉岡秀隆)を中心に、民間人(元軍人が多いとは言え)の力だけでゴジラに立ち向かうこととなった。


 ここで特筆すべきは、元整備兵の橘らが、


「日本軍は人命をないがしろにしすぎた」


 との反省を率直に口にし、その理念を体現したことだ。戦いであるから人的被害も出るが、誰も「お国のために命を投げ出そう」などとは言わない。


 ネタバレになるので、戦闘シーンの詳細は割愛するが、クライマックスでパラシュートが開くシーンを見た時は、思わず映画館でそっと拍手をしたほどだ。本当は「一人スタンディング・オーベーション」くらい、やりたかった笑。


 この映画は世界中で賞賛され、全米興行1位も達成。『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督も絶賛したと聞く。


 当然その理由は単一ではあるまいが、やはり私としては、ゴジラという存在が核兵器や放射能の恐ろしさを象徴していたという、原点に戻ったからであると思いたい。


 前回、学者たちが立ち上げた反希求運動が、核抑止論の台頭によって迷走してしまった古都を述べたが、今こそ核兵器の使用だけではなく、国際紛争解決のために武力を用いること自体を禁止しようという、アインシュタイン博士の発想に立ち戻るべきではないだろうか。


  学者や技術者だけではなく、政治家や軍人、いや、世界中の人々が。


トップ写真:アメリカ・ロサンゼルスで『ゴジラ-1.0』のプレミアが開かれた様子。2023年11月10日。出典:Photo by Stewart Cook/Getty Images for Toho Co.


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