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マララさんは、なぜ撃たれたか(上)イスラム圏の教育事情 その6

Japan In-depth / 2024年6月3日 17時0分

マララさんは、なぜ撃たれたか(上)イスラム圏の教育事情 その6


林信吾(作家・ジャーナリスト)


林信吾の「西方見聞録」


【まとめ】


・イスラム社会では「女性には学問など必要ない、と考える人が多い」というのは間違い。


・パキスタンで銃撃を受けたマララ・ユスフザイさん米軍のアフガニスタン侵攻を支持してはいない。


・女子教育問題とマララさんの問題を結びつけることは、イスラムに対する誤解や偏見を助長する。


「韓国では昔も今も反日教育が行われている、という話を聞いたことはありませんか」


「その情報は、間違っています」


 ……これは前にも紹介させていただいた、旧知の韓国人ジャーナリストから聞かされた話で、やはり『僕は在日〈新〉一世』(平凡社新書)という本にも記した。


「伝統的なイスラム社会」についても、これと似たり寄ったりの誤解があるようだ。典型的な例が「女性には学問など必要ない、と考える人が多い」という話だろう。


 2012年10月9日、パキスタンで衝撃的な事件が起きた。中学校のスクールバスが武装した数名の男に襲撃され、まだ15歳のマララ・ユスフザイさんが頭部を銃撃されたのである。彼女は重体、一緒にいた女子生徒2人も負傷したが、こちらは幸い、命に別状はなかった。


 マララさんはまず、首都イスラマバードの病院で手当てを受け、さらに安全な場所で治療を受けられるように、特別機で英国バーミンガムの病院に搬送されて治療とリハビリを続けた結果、2013年1月3日に退院。2月2日の再手術を経て、奇跡的に全快した。


 女子中学生が標的にされるという、史上稀に見る悪質なテロ事件で、当時のヒラリー・クリントン米国務長官が公式に非難するなど、国際世論は沸騰したが、ほどなく「TTP パキスタンのタリバン運動」を名乗る組織が犯行声明を出した。それによると、彼女は「親欧米派」で、彼らに対し「敵対的な情報を発信し続けた」ことが「死に値する」罪状だとされたらしい。


 いま少し具体的に述べると、彼女は1997年、パキスタン北部のスワート県で生まれた。父親は女子学校の経営者である。しかし2008年に前述のTPPが彼女の故郷を実効支配し、恐怖政治が始まったのである。とりわけ、女子が教育を受ける権利を奪われたことに対する義憤から、2009年、まだ11歳だった彼女は、英国BBCからの要請に応え、母語であるウルドゥー語で書いたブログをBBCが拡散し、英訳もされて各国のメディアから注目された。ちなみにこのブログでは書き手の本名や素性は伏せられている。


 同年、パキスタン政府は大規模な軍事行動を起こして、彼女の地元からTTPを追放。前後して、彼女の本名を公表し「勇気ある少女」であるとして表彰し、政府主催の講演会まで開いた。


 これに激怒したTTPによる銃撃事件であったことは言うを待たないが、結果論ながら、彼女の身辺警護を怠ったパキスタンの治安当局も、油断があったとの誹りを免れ得ないようには思う。前述の通り彼女は奇跡的に一命を取り留めたのだが、まず再手術に先駆けて2013年1月9日、女性のためのシモーヌ・ド・ボーヴォワール賞を授与された。『第二の性』などの著作で日本でも有名なボーヴォワールは、西欧における女性解放思想の草分け的存在だ。2008年に彼女の生誕100年を記念し、女性の権利拡大のために顕著な功績を残した人を表彰すべく創設されたのが、この賞である。1月9日は彼女の誕生日だ。そして翌2014年、マララさんは史上最年少(当時17歳)でノーベル平和賞を受賞し、日本でも大きく報道された。


 これに呼応するかのように、各国のメディアは、アフガニスタンなどのイスラム過激派の支配下にある国々では女性の人権が無視され、教育を受ける権利すら奪われている、という報道を行った。しかし、中東情勢やイスラム事情に詳しい人たちは、こうした報道に疑問を呈しているという事実を知っていただきたい。


 そもそも論から言うならば、イスラムは女子教育を禁じてなどいない。現に2021年にパキスタンのイムラン・カーン首相はBBCのインタビューに答える形で、隣国アフガニスタンのタリバン政権が、中等教育機関には男子生徒と男性教員だけが戻れる、と布告したことに対し、


「このような政策こそイスラムの理念に反する」


と明言している。首相に言われずとも「心正しき人」であるならば、人種国籍性別を問わず天国に迎えられる、というのがイスラムの基本的な考え方で、だからこそ世界宗教になり得たのである。


そもそもタリバン政権は1996年に一度成立したが、2001年9月30日、米国で起きた同時多発テロ事件に絡んで、首謀者とされたアル・カイーダの指導者オサマ・ビン=ラディンの身柄の引き渡しを拒んだとして米軍が侵攻し、年末までに政権は崩壊した。この侵攻自体、当時のタリバン政権は


「ビン=ラディンが首謀者であるとの確たる証拠を示せば、身柄を引き渡してもよい」


と言っていたにもかかわらず、米軍が問答無用で多数のミサイルを撃ち込み、地上部隊を送り込んだものであった。


 つまり、マララさんの事件は米軍が2ヶ月足らずでタリバン政権を崩壊させ、かの地を「民主化」した後で起きたのである。さらに言えば、彼女自身米軍によるアフガニスタン侵攻を支持してなどいない。ノーベル平和賞受賞に先駆け、2013年10月には当時のバラク・オバマ米大統領と面会しているが、その際には、無人機を用いてのタリバン「残党狩り」を中止するよう求めたほどだ。


 ただ、イスラム圏においては、彼女がノーベル平和賞を受賞したこと自体、


「欧米の思惑に過ぎない」「茶番」


などと批判あるいは揶揄する向きがあることも、また事実である。


 そしてご案内の通り、2021年8月に駐留米軍は撤退を完了し、その直前、タリバンは全土を掌握して再び政権の座に就いた。こうした経緯から、アフガニスタン国内において女子が教育を受ける機会を奪われている、などと国際的な非難を受けている問題と、マララさんの事件を直接的に結びつけるのは、イスラムに対する誤解あるいは偏見を助長する可能性をはらんでいる、と言わざるを得ない。


 次回、具体的にどういうことなのか、データを示しつつ掘り下げてみる。


【取材協力】


若林啓史(わかばやし・ひろふみ)。早稲田大学地域・地域間研究機構招聘研究員。京都大学博士(地域研究)。


1963年北九州市生まれ。1986年東京大学法学部卒業・外務省入省。


アラビア語を研修し、本省及び中東各国の日本大使館で勤務。2016年~2021年、東北大学教授・同客員教授。2023年より現職。


著書に『中東近現代史』(知泉書館2021)、『イスラーム世界研究マニュアル』(名古屋大学出版会)など。『世界民族問題辞典』(平凡社)『岩波イスラーム辞典』(岩波書店)の項目も執筆。



朝日カルチャーセンター新宿教室(オンライン配信もあり)で7~12月、博士の講座があります。講座名『紛争が紛争を生む中東』全6回。5/17より受付中。詳細および料金等は、同センターまでお問い合わせください。

トップ写真:家族と暮らしていた当時12歳のマララ氏(ペシャーワル、パキスタン、2009年3月26日)出典:Photo by Veronique de Viguerie/Getty Images


 


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