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「男らが愉しげにいう週末の馬の名はどれも美し」文人シリーズ第8回「歌人・早川志織と競馬場のエロスな光景」

Japan In-depth / 2024年9月25日 15時0分

黒き胸波打たせつつ牝馬はパドックに溜まる陽を踏んで行く





ナイター競馬だったけれど、早い時間に着いたのでまだ陽が高く、パドックには雲間から射す陽光が注いでいた。青毛(黒毛)の牝馬(めす馬)がこれから始まる過酷なレースを前に、胸をどきどきさせながら陽だまりを踏んで歩いている。その胸中はいかに。





ところで、パドックで牡馬か牝馬かを判断できるのか。競馬の素人には難しい。彼女がどうしてその青毛を牝馬とみなしたのか、今思えば不思議である。





予想屋から予想を買い、パドックで馬の状態を観察して、いよいよ本馬場へ。これがしごく順当な地方競馬場の歩き方である。やがて物悲しくファンファーレが鳴り、ゲートが開いてレースが始まった。余談だが、筆者は競馬場のファンファーレの韻律に、なんとなく哀しみを感じるのである。中央競馬なら函館競馬場のファンファーレ、これほど物悲しく響く曲もなく、切ない旅情をかき立てられる。馬の耳にはどう聞こえているのだろう。





おお、もうじき、ゴールだ!





目の前を駆け抜けるとき一房の金色の尾をはためかせたり





黄金色に近い栗毛、英語ではオレンジ色という。その美しい尻尾を水平になびかせながら、目の前のゴール板を駆け抜けていく。女流歌人の胸を激しく打った一瞬の光景であったろう。だが、勝者はその栗毛の馬ではなく、パドックで目に焼き付けたあの黒い牝馬だった。





走り終え勝ちたる馬は馬場に佇つ一本の黒き弓のかたちで





勝馬はレースの後、汗の滴る体をきれいに水で洗ってもらい、観衆の待つ表彰の場に立つ。そのきりっとした様が黒い漆を塗られた和弓のようにしなやかだったとこの歌人は謳った。





私にとっても忘れられない黒鹿毛の牝馬がいた。1992年の桜花賞やG1スプリンターズステークスを制し、同年度のJRAの最優秀4歳牝馬に輝いたニシノフラワーである。雨上がりの京都競馬場のパドック、一瞬こちらを振り向いた涼し気な瞳と端然とした立ち姿が目に焼き付いて今も離れない。ほんとうに美しかった。





早川志織さんは同書の中でこんな歌も詠んでいる。





獲物追うからだのひかり土を浴びてゴールラインへ君よ飛び込め





ラグビーの観戦後に詠ったラガーマンへの応援歌だ。が、私にはサラブレッドへの鎮魂の歌に聞こえた。





ゴール近く、前を行く馬を追い越そうと最後の脚を繰り出す後ろの馬たち。その人馬一体がナイター照明に照らされてくっきりと浮かび上がる。飛び散る汗が光の玉となってきらめき、舞い上がる砂を全身に浴びながら全馬がゴールへなだれ込む。そしてゴールした瞬間、馬たちの目には、なんとも形容しがたい静かな虚無の光が宿る――。





馬は死に向かって走る。馬たちはゴールラインが「死」という「終着への起点」であることを知らない。





エロスの歌人早川志織の鋭利な感性も、競走馬たちの無慚な運命にまではたどりつけなかった。





 (以上本文止め)









▲参考・引用文献:『種の起源』(早川志織・雁書房)筆者提供)





トップ写真:ロシアのコーカサス州ピャティゴルスクでの競馬 出典:iStock / Getty Images Plus




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