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印タタ・グループ、英オックスフォード大と連携し「ラタン・タタ ビル」建設へ

Japan In-depth / 2024年11月6日 23時0分

 


同グループの創始企業であるタタ・サンズの創業は1868年。創業者のジャムシェドジー・タタは、父親と友人が経営する貿易会社に入り、香港に駐在し、インドから綿花とアヘンを中国に持ち込む一方、中国から茶や香料を輸出していた。その出自は、イスラム勢力が侵入したササン朝ペルシャを逃れ、10世紀ごろ(8世紀との説もある)にインド亜大陸の西海岸に面するグジャラート州に居住することを時の藩王に許可されたパールシー(ゾロアスター教徒=拝火教徒)だ。


 


グループの事業の多くは、長男でタタ・サンズの2代目会長となったドラブジー・タタの時に成長した。ドラブジー、次男のラタン・タタに子供がいなかったので、3代目会長には創業者の妹の息子が就任したが、短期で退位。4代目会長として、1944年1月に就任したJ・R・D・タタは創業者同様、先見性に富み、1970年代央にソフトウエア部門を設立。同社は今日、世界有数のITサービス会社で、タタ・サンズの稼ぎ頭となっているタタ・コンサルタンシー・サービシズ(TCS)となっている。


 


最後まで社会貢献の元締め役を果たすラタン・N・タタは、1991年にタタ・サンズの5代目会長に就任した。彼は米コーネル大で建築学を、ハーバード大経営大学院で経営を学び、一時ロサンゼルスで働いていたが、インドに呼び戻され、東部のジャルカンド州ジャムシェドプルのタタ製鉄などで現場の実際仕事の経験や経営を学んだ。ラタン・N・タタは、上述のドラブジーの次男の養子となったナバル・タタの初婚の相手との間の子だ。ラタン・N・タタは、パールシーに相応の女性が見当たらないとかで、独身を通した。


 


タタ・グループは持続可能社会開発への取り組みに関し、タタ・サステナビリティー・グループやタタ・グループのタタ・トラスト(Tata Trusts)を通じて関与してきた。この面での貢献は大きい。タタ・トラストは、タタ・グループの持株会社であるタタ・サンズの株式の66%を所有しており、タタ・グループの社会貢献のいわば元締め役を担っている。


 


写真:ジュネーブモーターショーを訪れたラタン・タタ会長(2013.3.5 スイス ジュネーブ)


出典:Photo by Harold Cunningham/Getty Images


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