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「ミステリー作家になった女王陛下の手」文人シリーズ第10回「騎手と作家の二刀流 ディック・フランシス」

Japan In-depth / 2024年11月21日 21時26分

「ミステリー作家になった女王陛下の手」文人シリーズ第10回「騎手と作家の二刀流 ディック・フランシス」


斎藤一九馬(編集者・ノンフィクションライター)


「斎藤一九馬のおんまさんに魅せられて55年」


【まとめ】


・ディック・フランシスは元トップジョッキーで、競馬ミステリー作家としても成功し、リアルな競馬描写が魅力。


・フランシスの作品は冒険小説の復活を牽引し、競馬をテーマにした秀逸な物語が日本の読者にも愛され続けた。


・彼は競馬界への深い洞察とスリリングな物語で、読者に競馬の魅力を伝え続けた。


 


 


競馬や乗馬の世界で見事な騎乗ぶりを表す「人馬一体」という言い方がある。では、いったいどんな状態が「人馬一体」なのだろうか。


「馬と自分の体の動きがまだ感じられる。力をふりしぼっている二つの体の筋肉の躍動が一体と化している。あぶみの鉄輪、馬体を締めつけている自分のふくらはぎ、バランス、頭がくっつかんばかりになっている伸びきった黒鹿毛色の首、口に吹きつけられるたてがみ、手綱を握っている自分の手、それらすべての感触が残っている」


この一文は「人馬一体」の様子を活写して見事だと思う。それもそのはず、これは英国のトップジョッキーとして一時代を築いた経歴をもつ異色のミステリー作家、ディック・フランシス(1920~2010年)の書いた一文である。傑作『利腕』(1979年)のプロローグに出てくる。実際に馬を疾駆させた経験がなければ到底書けない迫真性に満ちていて圧倒される。


とくに感服したのが「口に吹きつけられるたてがみ」という箇所。馬の長いたてがみが向い風に巻き上げられてジョッキーの口に飛び込んでくる。これはどんな想像力に富む作家にも書けない。「口にふくんだ馬のたてがみ」などというしゃれた文句はとうてい思いつかない。「涙を馬のたてがみに」と歌ったのは寺山修司だったが、男はなぜか「たてがみ」に弱い。


ディック・フランシスがどんな障害騎手であったかは、彼がエリザベス王太后の専属騎手を務めたというだけで充分だろう。その彼もイギリスの最高峰障害レース「グランドナショナル」競争では、あと一歩というところで優勝賜杯を逸している。1956年4月、リバプールのエイントリー競馬場で行われたグランドナショナル競争。フランシスは大本命のデヴォンロック (Devon Loch) 号に騎乗した。馬主はエリザベス王太后である。後続に大差をつけて最後の障害を飛越する。もう勝利は目の前である。だが突然、馬が4つの肢を投げ出し、腹這いになってみずから競争を止めてしまった。ゴールはわずか50メートル先だというのに。


デヴォンロックのこの不可解なスライディングについてさまざまな憶測が流れた。大きな水濠障害の影に驚いたのではないか、あるいはスタンドを埋め尽くした大観衆の歓声に驚いた、などなど。大歓声のせいだと思ったのは騎乗した当のフランシスだ。馬はとても臆病な生き物だから。だが、真相はいまだに解明されていない。


フランシスは生涯を通じてグランドナショナル競争に8回挑戦したが、一度も勝てなかった。生涯戦績は通算2305戦345勝というから、現在の基準でいうとそれほどの戦績ではないけれど、スタージョッキーだったことは疑いがない。1957年、37歳でステッキを置き、「女王陛下の騎手」は引退した。騎手デビューは28歳と遅かったから10年弱の騎乗であった。


彼の名がふたたび世間に出るのはそれから5年後の1962年のことである。長編競馬ミステリー『本命』を世に送り出し、一躍脚光を浴びる。一流の騎手が一流の作家となる第一歩であった。アメリカの著名なSF編集者で書評家・作家のアンソニー・バウチャーは「どうしてこの偉大なる騎手にこのような作品が書けるのか」と絶賛した。


以降彼は毎年1作、競馬を主題とする長編ミステリーを生涯書き続ける。最後の作品が2000年の『勝利』。授賞歴も多く、アメリカ探偵作家クラブ賞(MWA賞)や英国推理作家協会賞(CWA賞)を複数回受賞している。


ディック・フランシスの競馬シリーズの日本語タイトルはすべて2字である。発刊順に挙げてみると、『本命』『度胸』『興奮』『大穴』『飛越』『血統』『罰金』・・・・・・といった具合で、ネーミングの妙にファンが魅了された面もある。とにかく、息の長いベストセラーとしてミステリー界を席巻した。日本の出版社は早川書房で、ハヤカワ・ミステリ文庫としてシリーズ化された。


どんな作家にも作品が思うように書けないスランプの時期がある。フランシスも例外ではなかった。スランプからの脱出作となったのが1885年に出された『利腕』。私の愛読書である。その解説をエッセイスト・文芸評論家の北上次郎さんが書いている。


話は少し脱線するが、この北上次郎さんが実にいい。別名「藤代三郎」のペンネームでペーソスとユーモアあふれる競馬エッセーをたくさん書いていて、私は大ファンであった。とりわけ、競馬週刊誌「ギャロップ」に連載した「馬券の真実」は競馬文学史上に残らない傑作で、毎週、抱腹絶倒して読んだものだ。


この連載エッセーがミデアム出版社から単行本として刊行された。『外れ馬券に雨が降る』『外れ馬券に風が吹く』『外れ馬券に月が泣く』『外れ馬券は永遠に』『外れ馬券に喝采を』『外れ馬券に春よ来い』・・・・・・と愉快なタイトルが続いた。私は毎回にんまりとしてページをめくり、そこに書かれた驚愕の外れ馬券に呆れ、「馬券の真実」に痛く共感したのであった。藤代三郎さんは、私と同様、ほとんどといっていいほど馬券を外すのである。その外し方をアレコレ哲学するのが本書の醍醐味であった。


この藤代三郎氏、もとい北上次郎氏がフランシスの『利腕』の解説を書いたのである。これが読まずにいられようか。ちなみに、『利腕』の主人公は落馬事故で左手を失い、騎手をやめて探偵社の調査員となったシッド・ハレーである。初期の名作『大穴』の主人公を再度登場させているのがミソだ。謎解きだけでなく、冒険小説としても一級品、ハードボイルドな場面も出色の出来だ。


ハレーは離婚した元妻を巻き込んだ詐欺事件と競馬界内部の不正事件の調査を同時に依頼される。ハレーの捜査をやめさせようと悪徳賭け屋がシッド・ハレーにピストルを突き付けて脅す場面が出てくる。銃口がハレーの右手首に押し付けられている。


「頭がボーッとして体じゅうが汗まみれになった。人が何といおうと、恐怖というものを私は充分に承知している。それは馬そのもの、レース、落馬、あるいはふつうの肉体的苦痛に対する恐怖ではない。そうではなくて、屈辱、疎外、無力感、失敗・・・・・・それらすべてに対する恐怖である。」


北上次郎さんは、このシーンを「『利腕』が秀逸なのは、(中略)男の恐怖心というテーマを引き出していることだろう」と解説した。「彼はすでに左手を失っている。シッド・ハレーの恐怖はこの上右手まで失うことへの恐怖である。『利腕』は屈辱から彼がいかに這い上がってくるかを描いた物語だ」。


フランシスの描く主人公は自制的な堅物が多い。恐怖心など感じさせない鉄の心臓をもつような男が多い中で、この人物造形は異色である。襲い来る恐怖を克服しながらやっとこさ犯人にたどり着く。エンディングは、賭け屋がハレーを殺そうとして・・・。いけない、ラストシーンをここでバラしてはまずいだろう。


北上さんによれば、冒険小説の世界は1970年代に一度読者に飽きられてしまう。その復活のさきがけとなった作品がこの『利腕』なのだという。ディック・フランシスの競馬ミステリーが冒険小説を時代的凋落から救い上げたのである。


日本の競馬界でも、英雄ハイセイコーが1975年に去った後、競馬場は火が消えたような寂しさに支配された。ふたたび活気を取り脅すのは1983年、クラシック三冠馬ミスターシービーが現れてからのことで、その翌年には皇帝シンボリルドルフがミスターシービーに続いて三冠馬となり、日本競馬の黄金期が到来するのである。


ディック・フランシスは1988年、第1回ジャパンカップを観戦しようと来日した。そのとき彼の印象に残った馬が3頭いた。タマモクロス、オグリキャップ、そしてゴールドシチーである。


名馬は名手だけが知る。この3頭はいずれも時代を画した世紀の名馬たちであった。



引用・参考文献 『利腕』(1985年・ハヤカワミステリ文庫/競馬シリーズ)


写真)長いたてがみをもつ馬(本文とは関係ありません)


出典)Photo by Callipso/Getty Images


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