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【エンタがビタミン♪】櫻井翔 織田信成の言葉に唸る「なかなか言える人少ない」

TechinsightJapan / 2016年3月2日 20時58分

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特別番組『東日本大震災から5年 櫻井翔×池上彰 教科書で学べない災害』では噴火の可能性が指摘される“富士山”を池上キャスターが現地取材、櫻井キャスターは東日本大震災で津波に遭った人々にインタビューした。そんななかで、日本ではこれまでも歴史に影響を与える大震災が何度も起きたことに触れるとゲストの織田信成が口を開いた。

2011年に東日本大震災が発生した3月11日から間もなく5年が経つ。3月1日に日本テレビ系で放送された『教科書で学べない災害』では、火山噴火やスーパー台風を取り上げながら災害と防災について考えた。日本の歴史で災害が大きな影響を及ぼした史実をテーマにした時だ、池上彰さんが「災害にほんろうされた歴史上の人物は“豊臣秀吉”」と語り「織田さんにとっても、ちょっと縁のある人…」と織田信成に問いかける。

織田信成が感慨深げに「そうですね…縁深い方ですね」と答えると、キャスターの櫻井翔が「なかなか言える人少ない…織田さんだけだよ」と歴史のつながりに唸った。

豊臣秀吉は1590年に天下統一を果たしながら、1598年に病没した。1596年9月に慶長伏見地震が起きている。昨年、秀吉の幻の城と見られる跡が発掘されたことで城を建てて約2年で地震により倒壊したと見られ、秀吉の天下を終わらせるきっかけになったのではという説も浮上しているのだ。

天下統一以前の1586年1月には天正地震が起きた。当時、秀吉は10万の兵を率いて徳川家康軍3万と戦をするところだったが、大震災により前線基地だった大垣城が倒壊。さらに長浜城も壊れて家老を失う。一方で家康が駐留していた地域はほとんど被害が無かった。秀吉は勝ち目が無いと見て家康との戦を諦めたが、もし大震災が起きていなければ家康を倒して歴史は大きく変わっていたかもしれない。そんなエピソードを聞きながら織田信成は何を思っただろうか。

番組ではフィギュアスケート・羽生結弦選手が東日本大震災発生時に仙台市のアイスリンク仙台で被災し、避難生活を送った学校を訪問。簡易トイレや体育館にしかれたゴザ、アルファ化米を水で戻して作ったわかめご飯のおにぎりなどを再現して当時を振り返った。はじめは1人2個配給されたおにぎりが、やがて2人で1個となる。しかし家族は育ち盛りだった彼におにぎりを1個食べさせてくれたという。

「おにぎり1個で足りてました。お腹いっぱいって思ってましたよ、その頃は…いっぱい食べたって…」と思い出す羽生選手。「震災がない人生は自分のなかで思い浮かばない。もう、受け入れることができる“これが普通だ”って…震災って普通じゃないことなのに」と今の心境を明かし、「ここから歩み出していくことがすごく普通に思える。僕たちは生きている人間だからこそ、命を全うして、亡くなった方々や辛い思いをしている方々に対して、胸を張れるような生き方をしなければいけないと強く思う」と語った。

2月11日、『織田信成オフィシャルブログ「氷上のお殿様」』で「この色のシャツって…ゆづがソチオリンピックの時、ショートで着ていたあの青色の衣装と似ている…ような気がして」と“パリの散歩道”でのポーズを披露していた。羽生結弦選手をよく知る織田信成だけに今回のVTRはなおさら胸に迫るものがあっただろう。

出典:http://ameblo.jp/oda-nobunari
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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