【エンタがビタミン♪】YOSHIKIを動かす“命がけのエネルギー” 津田直士が見た胸の「鮮血」
TechinsightJapan / 2018年4月1日 11時47分
X JAPANのYOSHIKIは昨年5月16日、ロサンゼルスで頸椎椎間孔狭窄症の治療として人工椎間板を置換する緊急手術を行った。当面ドラムは叩けないと医師に止められていたが、リハビリによる驚異的な回復もあって「1曲だけならば」との言葉をもらい、12月31日のNHK紅白で「ドラム復帰を決断した」という。
バラエティ番組に出演した際、YOSHIKIはたとえまた頸椎手術することになっても「ドラムは叩き続ける」と話していた。何が彼をそこまで奮い立たせるのか。3月30日に放送された『中居正広のキンスマスペシャル』にYOSIKIが出演して子ども時代からX JAPANでの活動までを振り返るなか、その理由が垣間見えた。
病弱だった幼少期、彼に愛情を注いでくれた父親が小学5年生の時に亡くなる。数年後、命日に集まった親戚のおじさんたちが「病死でなく自殺だ」と話しているのを耳にしてショックを受けたYOSHIKIは「生」と「死」を強く意識するようになる。不良となった彼は「死」を怖れぬかのようにケンカを繰り返し、殴られて顔を腫らすこともあった。
幼馴染のToshlとロックバンド・KISSに憧れて小学6年生でバンドを組み、中学、高校とメンバーを変えながら活動するなか高校2年生の時に始めたのが「X」だった。将来を考えて音楽大学への進学を目指し、猛勉強して推薦入学までこぎつけたYOSHIKIだが、Toshlと話し合い「X」で世界制覇しようと決意して音大への推薦を蹴る。
東京に拠点を移し、メンバーを揃えると1988年4月にインディーズでアルバム『Vanishing Vision』をリリースして話題となる。だが、世間からは「Xは派手で過激で中身がない」という酷評もあり、YOSHIKIは納得していなかった。
当時CBS・ソニーにいた津田直士が「インディーズで話題のバンド・X」と聞いて興味を持ったのはその頃だ。彼は「X」をプロデュースした人物として知られ、今は音楽プロデューサー、ソングライター、作曲家、作家として活動している。
その津田直士が『金スマ』のインタビューに答え、初めてYOSHIKIに会った時を振り返った。「目の前に白いシャツを着て現れ」「超常現象など見たことはないが、YOSHIKIの胸に鮮血が見えた。ちょうど心臓のあたりに」という。
彼は幻覚だと思ったが「YOSHIKIにある“命がけのエネルギー”、分かりやすい言葉にすれば“殺気”が表れた」のではないかと今でもハッキリと覚えていた。自分だけでなくメンバーのために「売れなければ死ぬしかない」とまさに命がけで取り組むYOSHIKIの熱量が、津田にそれを見せたのだろう。
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