1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

【エンタがビタミン♪】みのもんた『ケンミンSHOW』勇退に先輩アナが回想「羨ましいようなテレビ人生」

TechinsightJapan / 2020年3月27日 13時47分

【エンタがビタミン♪】みのもんた『ケンミンSHOW』勇退に先輩アナが回想「羨ましいようなテレビ人生」

みのもんたが、番組スタート時から司会を務めてきた『カミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW』(読売テレビ制作・日本テレビ系)を勇退した。3月26日に2時間の拡大枠で放送された『秘密のケンミンSHOW みのさん大慰労会SP!!』は彼が久本雅美とのコンビで13年間にわたり、県民の皆さんを通して「笑」「人情」「涙」「美女」「酒」という様々な角度からお茶の間を楽しませてくれたことを振り返るものだった。そんなみのもんたについて、アナウンサーの先輩である岩佐徹さんがブログで「老兵 もんたが去った~放送史に名前を残したね~」とこれまでの紆余曲折を回想した。

岩佐徹さんは1963年にフジテレビへ入社してアナウンサーとなり『3時のあなた』、『スター千一夜』など人気番組を担当した。みのもんたは1967年に文化放送へ入社、アナウンサーとして人気ラジオ番組『セイ!ヤング』で初代パーソナリティを務めた。1979年に文化放送を退社した後、フジテレビから声がかかる。

岩佐さんが神宮球場でヤクルトの練習を見ていたところ、若者がやって来て丁寧に頭を下げ「文化放送のミノリカワです。よろしくお願いします」と挨拶したのが1960年代の終わりだった。

文化放送を退社したみのもんたは苦労の末、1980年にフジテレビ『プロ野球ニュース』で土曜・日曜の司会者という仕事をもらった。岩佐さんはその頃の印象を「たぶん“気合”は入っていなかったと思う」と明かしている。

報道局から異動して『プロ野球ニュース』のデスクになった岩佐さんは、みのが生放送でさりげなく髪をかき上げたのを「銀座のお姉ちゃんにでもサインを送ったのだろう」と見抜き、彼をつかまえて「番組をそんな風に使うんじゃない。二度とやるなよ」とお灸をすえたという。

そんなこともあったが、同番組のスピンオフとして企画された『プロ野球珍プレー好プレー大賞』でナレーターに抜擢されたみのは、軽いノリのナレーションで人気を集めた。岩佐さんは「彼以外のタレントにはできない。あの“味”はみののキャラクターそのものだからだ。“おかしさ”が格別だった」と絶賛している。

以降の大活躍を「間違いなく、テレビ史に名前が残るだろう」と評す岩佐さんだが、セクハラ報道などのスキャンダルについては「“晩節”を汚す出来事がいくつかあった」と惜しんだ。

みのもんたは『文藝春秋』のインタビューで『ケンミンSHOW』降板とテレビからの引退について「『間と緩急』や『起承転結』を大事にした喋りで相手を笑わせ、驚かせ、泣かせることを追求してきた自分と、若いタレントによる機関銃のように言葉をまくしたてて何を言っているのかさっぱり分からない喋りにギャップを感じた」との趣旨を話しており、「新幹線まではなんとかなるけど、リニアモーターカーのスピードにはついていけません」と表現していた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください