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【エンタがビタミン♪】山本寛斎さん、デヴィッド・ボウイさんとの楽屋ショットに布袋寅泰「二人はもう星の人となってしまった」

TechinsightJapan / 2020年7月28日 13時45分

【エンタがビタミン♪】山本寛斎さん、デヴィッド・ボウイさんとの楽屋ショットに布袋寅泰「二人はもう星の人となってしまった」

山本寛斎さんが7月21日、急性骨髄性白血病により76歳で亡くなった。ファッションデザイナーやイベントプロデューサーとして世界で活躍したが、なかでも2016年1月10日に亡くなったデヴィッド・ボウイさん(享年69)と1970年代に出会い、斬新な衣装をデザインしたことで知られる。そんな2人から多大な影響を受けたロックミュージシャンの布袋寅泰が、インスタグラムに楽屋で談笑する貴重な写真を投稿して山本寛斎さんを偲んだ。

10代の時に音楽雑誌で「出火吐暴威」(デヴィッド・ボウイ)と漢字で描いたデザインの衣装を見て、世界で活躍する日本人デザイナー「山本寛斎」を知ったという布袋寅泰。自身が1981年にBOOWYのギタリストとして音楽界にデビューし解散後はソロで活動を続けるなか、1994年5月に奈良東大寺仏殿前庭で行われた日本と世界のミュージシャンによるライブイベント『GME ’94 ~21世紀への音楽遺産をめざして~ AONIYOSHI』に出演した。

会場では各国のビッグアーティストたちが布袋を見て「その衣装素晴らしいね」と声をかけるので、心の中で「だって山本寛斎だもの!」と誇らしかったという。そうした関係にある山本寛斎さんと一緒に北京を旅したこともあり、798芸術区のギャラリーに展示された作品を観て「どの作品も“買ってください”と媚を売っているようにしか見えない」と辛口な感想を口にしたことを「寛斎さんらしかった」と振り返った。

布袋が「デヴィッド・ボウイの来日公演での楽屋での思い出の写真は今も僕の宝物」という1枚は、山本寛斎さんとデヴィッド・ボウイさんの横で布袋と妻の今井美樹が泣きじゃくる幼い娘をあやすというレアショットだ。布袋と今井には2002年7月26日に長女が誕生しており、『デヴィッド・ボウイ A Reality Tour』来日公演が行われたのは2004年のことだった。

デヴィッドさんが「こっちにおいで赤ちゃん!」と両手を差し伸べると、娘が火がついたかのように泣いて拒むのを見て寛斎さんが「お嬢さん、なかなかお目が高いね!」と一言。布袋は「皆が笑った一瞬だった」と当時を思い出して「二人はもう星の人となってしまった」と感慨深げである。

布袋寅泰は「デヴィッドや寛斎さんを見習って、もっと攻めていかなければ、と思う」と自らに言い聞かせ、「寛斎さん、いつも燃えたぎるようなエネルギーを見せつけてくれて、ありがとうございました。天国でデヴィッドさんと久しぶりに踊ってください」とメッセージを送れば、LUNA SEAやX JAPANのギタリストで音楽プロデューサーのSUGIZOもTwitterで「山本寛斎さん。残念でなりません」と追悼した。

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