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【エンタがビタミン♪】田村淳、母が言い残した「葬式は選抜メンバー12人だけ」エピソードに家族の仲を邪推され「悲しい」

TechinsightJapan / 2021年7月19日 18時35分

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田村淳(ロンドンブーツ1号2号)の母親・久仁子さんは長年がんと向き合いながら闘病してきたが、昨年8月に72歳で亡くなった。田村によると、久仁子さんは病床にあって「コロナ禍だからお葬式に呼ぶのは限られた12人だけでいいよ」との趣旨を言い残したという。葬式の話でさえ「選抜メンバーにしたけぇね」とユーモアを忘れない久仁子さんの人柄をうかがわせるエピソードをTwitterで紹介した田村だが、嫁姑の関係を邪推する声があったのは残念そうだった。そんな田村淳はかつて番組のロケで実家に帰ったことがあり、息子のことをいつまでも子ども扱いして心配していた久仁子さんの言葉が思い出される。

田村淳が書き下ろしたノンフィクション『母ちゃんのフラフープ』(5月31日発売)は「延命治療はしないでいい」と宣言してがんと向き合うことを決めた久仁子さんの姿を見守り、別れまでを綴ったものだ。田村は7月19日にTwitterで久仁子さんとの会話を振り返っており、病院のベッドで「コロナやけぇお葬式は限られた人12人だけにしてよ!」「メンバーは私が選んだけぇ守ってね」と伝えたなかに、田村淳の妻や子どもたちの名前はなかったという。今となれば「母ちゃんは『選抜メンバーにしたけぇね』と笑いながら言ったけれど…本当はみんなに来て欲しかったやろね…」と久仁子さんの胸中を思うのだった。

フォロワーからは「死と折り合いをつけて発言されたであろうお母様は凄いとしか言いようがない。選抜メンバーのくだりだって家族を思っての発言。素敵なお母様だったのですね」と共感する声が多いものの、田村淳は「邪推で嫁と母の不仲説を疑う人がいる」と一部の誤解に対して補足した。田村の妻は産後で子どもたちも小さかったため、久仁子さんはコロナ禍のうえに長旅で疲れることを心配したのだろう。田村は「最期の誕生日にみんなで集まれたけぇ葬儀は来んでええよ」「私は死んでも怒らんけぇ、東京にいてね」(原文ママ)と笑いながら話していた母の顔を思い浮かべるように、「邪推されて悲しくなる…」とつぶやいた。



2013年9月に結婚した田村淳は2014年2月にハワイで結婚式を挙げており、当時4月にインスタグラムで「最初は照れくさいと思ったけど、母ちゃんと入場して良かった」と久仁子さんと腕を組む入場シーンを投稿した。その後、2015年に久仁子さんのがんが見つかる。同年10月に放送された福岡ローカルの冠番組『ロンプク☆淳』(九州朝日放送)で田村淳が山口県・下関の実家に帰省した時はまだ明るくお元気で、息子に「天狗にならず謙虚でいくのよ」と説教したり、ネットで叩かれるのを見ては「また、何を言ったのかって…」と心配になることを明かしていたものだ。田村は最期まで皆を心配して葬式の参列者を自ら指名した久仁子さんらしいエピソードを息子として伝えておきたかったのではないか。

画像2、3枚目は『田村淳 2014年4月20日付Instagram「最初は照れくさいと思ったけど、母ちゃんと入場して良かった」、2014年10月15日付Instagram「下関にて…実家の近くで、見た事あるおっさんがおると思ったら同級生!」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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