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【エンタがビタミン♪】オードリー若林、人生を賭けて臨んだ『M-1』 芸人を辞めたら「いなくなってたんじゃないかな」

TechinsightJapan / 2021年12月27日 12時53分

【エンタがビタミン♪】オードリー若林、人生を賭けて臨んだ『M-1』 芸人を辞めたら「いなくなってたんじゃないかな」

2001年に行われた第1回『M-1グランプリ』チャンピオン・中川家によると、当時の大会はネタ見せ番組の一つのような感じで優勝しても特段、仕事が増えた覚えはないという。だが今や“芸人人生を賭けた漫才頂上決戦”、“芸人にとってのジャパニーズ・ドリーム”と称され、『M-1』で優勝することを目指す芸人が多くなった。オードリーは2008年の『M-1』で敗者復活戦から決勝に進出、見事準優勝を果たしてから芸人人生が激変したコンビである。

25日深夜放送のラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、当時を振り返ったオードリーの2人。敗者復活戦で勝ち上がれたのは「本当に運がよかっただけの話」と若林正恭が言うと、「いや、本当よ」と相方の春日俊彰も同意する。オードリーの代名詞でもある「ズレ漫才」を発表したのが2005年、若林は“このズレ漫才が世の中に通用しなかったら、辞めるしかない”というくらい芸人人生を賭けていた。結成から9年目、『M-1グランプリ2008』で準決勝で敗れるも敗者復活戦に回ったが、若林は「2008年で敗者復活しなかったら、もう絶対売れてなかった。2009年はもう絶対ありえなかったから」と、当時の追い詰められた心境を明かした。

『M-1グランプリ』第1期(2001年~2010年)の出場資格はコンビ(グループ)結成10年以内であったため、若林は「2009年のM-1が決勝行けなかったら、(芸人を)辞めてる」と話す。すると春日が芸人を辞めてどうするつもりだったのかを尋ねると、若林は言葉を選びながら「辞めてたら、死んでると思う」とポツリ。今から思えば「凄い狭い視野で生きていたな」と思うが、芸人として『M-1』で結果を残すことが全てだったため自分の居場所が分からず、死ぬとまではいかなくても皆の前から「いなくなってたんじゃないかな」と語った。当時の若林には“お笑い”しかなかったのだ。

その『M-1グランプリ2008』で準優勝になったオードリーは、翌2009年に人気番組だった『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラー入りや『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)開始と、優勝したNON STYLEよりも早く活躍することとなったのだ。

今年の『M-1グランプリ』も史上最高齢のチャンピオンになった錦鯉だけでなく、モグライダーやランジャタイといった“地下芸人”と呼ばれる無名コンビにも注目が集まっている。第2のオードリーが今年のファイナリストから誕生するかもしれない。

画像2枚目は『オードリーのオールナイトニッポン 2021年12月26日付Twitter「オードリーのオールナイトニッポンお聴きいただきありがとうございました。」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 みやび)

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