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アメリカと韓国の例に見る司法と政治のあり方

JIJICO / 2017年3月20日 9時0分

アメリカと韓国の例に見る司法と政治のあり方

アメリカと韓国の例に見る司法と政治のあり方

アメリカや韓国で注目を集めている「司法と政治」の関係

アメリカではトランプ大統領による入国禁止令に対し,各州の連邦裁判所が相次いで違憲であるとの判断を示し,韓国では憲法裁判所が朴槿恵前大統領の罷免を宣告するなど,世界で「司法と政治」がかかわるニュースが相次いでいます。
そこで,今回は上記ニュースを題材に,「司法と政治」の関係について考えてみたいと思います。

司法は政治から独立している存在であるという原則

まず原則となるのは,「司法は政治から独立していなければならない」ことです。
近代立憲国家においてはほぼ例外なく「三権分立(権力分立)」が取られており,司法・立法・行政が独立し相互監視を行うことで,一つの機関に権力が集中して濫用されることを防ぎ,国民の人権を守るという体制が確保されています。
その中でも,司法権は「違憲審査権」を有し,政治や法律が憲法に違反している場合,その効力を否定することで憲法秩序を守るという,まさに「法の番人」としての役割を与えられています。
なお,日本では違憲審査権を含む司法権は全て裁判所に帰属しますが,韓国のように憲法問題については「憲法裁判所」が判断するという制度をとる国もあります。

司法権(裁判所)は司法・立法の暴走を止めるという重要な役割を担うものであるので,特に政治からの独立性が重要であるとされます。
逆に,トランプ大統領による裁判所批判や,韓国憲法裁判所の判断に対する批判の中には「裁判所が政治的な判断をしている」というものがあり,司法が政治的判断を行うべきではないとの論調も見受けられます。
その批判の当否については本項で触れることはできませんが,政治から独立していなければならない司法が逆に政治的な判断をしているのではないか,という批判は,司法が大きな判断を示したときに必ず向けられるものだろうと思います。

日本の裁判所も憲法問題について踏み込んだ判断をしても良いのでは

以下は私見になりますが,司法が紛争を解決する手段である以上,その判断を是としない立場からは「司法の偏向」との批判がなされることは必然であると考えます。ときには,それが政治的判断に見えることもあるでしょう。
しかし,権力分立の理念に元付けは,司法は「憲法」に立脚して判断を行うものであり,もし政治が憲法から外れているのであれば,それが政治的判断になるとしても,憲法にしたがった判断をしなければなりません。

アメリカで連邦裁判所がトランプ大統領による入国禁止令が憲法違反であると判断し,その効力を差し止めたのは,司法が行政の暴走を止めたものであり,立憲主義のもとでの権力分立が機能した一例だと言えます。
韓国での朴元大統領の罷免についても,国民が選んだ大統領であっても憲法秩序に反する場合は罷免されるという点で,やはり権力分立の一場面だと言えるでしょう。

なお,日本でもGPSを利用した捜査手法について,最高裁大法廷が無令状で行うことは憲法に違反する,との判断を示し,必要があれば立法を行うべきだとの判断を示しました。これも警察という行政活動に対し,司法がストップをかけた例の一つだと思います。
ただし,我が国では,アメリカや韓国のように裁判所が思い切った判断をすることは珍しく,政治的判断を伴う事件については,裁判所は判断を示さないという「統治行為論」を用いて判断を回避することも多々あります。

裁判所が政治判断に関わらないと言う形で司法の独立を守るということかもしれませんが,個人的には日本の裁判所(最高裁判所)は,たとえ政治的だとの批判を受けても,憲法問題については必要があればもう少し踏み込んだ判断をしてもいいのではないか,とも思います。

(半田 望/弁護士)

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