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衆議院選挙の結果を受けて 扇動政治と政治家の矜持について

JIJICO / 2017年10月23日 12時30分

衆議院選挙の結果を受けて 扇動政治と政治家の矜持について

衆議院選挙の結果を受けて 扇動政治と政治家の矜持について

今回の選挙を振り返る 日本の政治の劣化が浮き彫りに

今回の衆議院議員総選挙では、連立与党である自民党と公明党の圧勝となる一方で、野党については、希望の党が伸びず、立憲民主党が54議席を獲得して第一党となりました(10月23日午前9時段階)。
安倍首相が9月28日の臨時国会初日に解散をした時点では、9月25日に突然結党が発表された小池百合子代表を擁する希望の党が注目を集め、自公で議席の過半数を占めることが難しいという見方が強まりさらに、希望の党と民進党との合流話が持ち上ったことで、希望の党が一気に党勢を強める流れとなりましたが、その後野党陣営の状況は混迷を深めました。

希望の党の小池代表が、民進党との合流を否定し、一部議員を「排除する」という表現を使い受け入れないと決めたことを契機に、これに反発した民進党のリベラル系議員が希望の党への合流を拒否し、枝野幸男氏を代表として「立憲民主党」を結党し、立憲民主党の公認候補として立候補したほか、一部議員は無所属で出馬をしました。

希望の党の立候補者には、「自民党」「日本のこころ」からも入党した者もいるうえ、独自に擁立した候補者には、多数の党を渡り歩き落選を重ねている者も多数いるために、「政策や主義主張などどっちでもよく、当選することが一番重要だと考えている政治家ばかりだ」という印象を多くの国民に与えることになりました。希望の党の存在は、有権者に希望を与えるどころか、政治家や政治に対する失望感を高めるという皮肉な結果になったのです。

今回の総選挙を通じて、日本の政治の劣化と政治家のレベルの低さが一層浮き彫りになったと嘆いている方も多いでしょう。

日本人の6割以上が「政治家は自己利益だけを追求をしている」と思っている

国際社会調査プログラム(ISSP)が2010年に行った調査によると、日本人は、国際的に見て政治家に対する信頼度が非常に低いことが報告されています。「政治家は正しいことをしていると信頼」している割合が7.5%で、「政治家は自己利益だけを追求をしている」と見る割合が62.0%になっています。この調査は、先進7ヶ国(イタリアを除く)をなど32ヶ国が対象になっていますが、政治家への信頼度の低さでは、ラトビア(6.1%)とリトアニア(6.2%)に続く全体の3番目の低さになっています。他の先進国の数値は、以下のとおりです。

Q. 政治家は正しいことをしていると信頼しているか?

アメリカ-23.5%
イギリス-25.5%
ドイツ -16.5%
フランス-22.8%
カナダ -30.3%
日本  -7.5%

日本の数値に低さが際立っていることがわかります。政治家を信頼している割合が10%を切っている国は、日本を除くと、かつて共産主義国家だった東欧の3国のみです。

この調査結果を見る限りは、もともと日本人は10人のうち9人は政治家を信頼していないことになるので、今回希望の党を舞台に行われた政治家の烏合離散の醜態を目にしても、これ以上政治家への信頼度が下がりようがないのかもしれません。

政治家が意見を聞くことを望むが、選挙に対しては消極的

次に、国の政策に国民の考えや意見がどの程度反映されていると日本人は思っているのでしょうか。内閣府が行った平成28年度『社会意識に対する世論調査』を見ると、「反映されている」が34.6%で、「反映されていない」が62.1%です。つまり、国民の3分の2は、自分たちの声は政策に反映されていないと考えていることになります。
では、「どのようにすればよりよく反映されるようになるか」という問いに対しては、以下の答えを出しています。

Q. どのようにすれば国の政策に国民の考えや意見がよりよく反映されるようになるか?

政治家が国民の声をよく聞く - 24.9%
国民が国の政策に関心を持つ - 24.2%
国民が選挙のときに自覚して投票する - 15.4%
政府が世論をよく聞く - 14.9%
国民が参加できる場をひろげる - 13.0%
マスコミが国民の意見をよく伝える - 5.1%

面白いと思うのは、「政治家が国民の声をよく聞く」ことが一番重要だと考えているにも関わらず、「選挙のときに自覚して投票する」や「国民が参加できる場を広げる」の割合が低くなっています。つまり、政治家は努力して自分たちの意見に耳を傾けろと言っているのですが、自らが政治に参加したり興味を持ったりすることには前向きではないのです。一体全体どうしたらよいのでしょうか。

政治の役割が変化したことを背景に、民主主義が劣化しつつある

そもそも政治が必要な理由を考えると、一般論として、社会的インフラの提供、治安秩序の実現、社会的公平の実現、国民の幸福追求手段の保障の4つがあげられます。しかし、年金制度を主とした公的制度に対する信頼が失われ、主権者としての意見が反映されていないと考えている国民が多いという事実から、民主主義が主権者の意思によって自らの運命を決定することができる政治体制だとするならば、日本の民主主義は機能不全に陥っていることになります。

1990年代にハーバード大学のチームが、アメリカ国民の政府に対する信頼度に影響する要因について検証をしました。その中で、経済成長率の鈍化、権威主義への反感、個人主義化、政治家の独走と汚職、メディア報道など因果関係がはっきりしない複数の要因が関係していることが報告されています。たしかに、単純な話ではないでしょうが、どの要因も現在の日本にも当てはまることであることは間違いありません。

政治の役割について別の見方をすると、戦後の政治は、経済成長とともに劇的に変化していく社会において、様々な団体や社会勢力の利害を調整しつつ、国際的プレゼンスの拡大や経済大国という政治的かつ経済的目標を達成することでした。ところが、少子高齢化により人口増加が止まり、日本経済がジリ貧傾向になると、戦後主流であった利益分配や調整目的の政治は、その対象を失うことになったのです。

それでも、政治が国民から支持を得ようとすれば、全国民を登場人物とするストーリーに頼るしかありません。安倍首相の打ち出している「一億総活躍プラン」は、その典型と言えるでしょう。しかし、そこで語られていることは、政治的リーダーが強く持っている理念や政策で世論を導くのではなく、むしろ世論が重要視していることをマーケティング的手法で炙り出し、それをもとに作り出された政策や公約です。

昨今、世界的に見ても、政治がポピュリズム(大衆迎合)やデマゴギー(扇動)に侵されているという批判がありますが、民主主義が劣化している兆候とされる現象には、いくつかの特徴があります。一つ目は「国家を企業のアナロジーとしてとらえること」、二つ目は「トップリーダーが物語を好む」こと、そして三つ目は「敵をつくる」ことです。

安倍首相がアベノミクスの三本の矢の中で「成長戦略」という言葉を使っていますが、これは国家を企業のアナロジーとしてとらえていることに他なりません。また、安倍首相はスピーチの中で「強い日本」「誇り」「自信」「意志の力」という言葉を多用しますが、これは現在不調に喘いでいる日本のV字回復というストーリーを常に意識して語っているからです。そして、安倍首相には現在「北朝鮮」という敵がいて、野党には「安倍首相」という敵がいるのです。

日本の民主主義はどうなっていくのか?

このことから、これまでの民主主義は、政治家によって国民が代表されてきましたが、これからの時代の民主主義は、政治家によって国民が表現されているという変化が起きていることを知るべきでしょう。もし、国民として日本の政治を嘆くのであれば、政治に表現されている国民を嘆くことを意味します。政治家の多くは、有権者のことを「自分を信頼していない」、「個人的な要求はあるけれど、政治には関心が薄い」と考えているため、選挙で当選さえすれば、後は野となれ山となれという行動につながっている可能性があるのです。

つまり、日本における現在の民主主義の問題点は、個人主義化あるいは自由主義化が進み、「民意」だけが肥大していることです。より厳密に言うと、民意と言いながら、実は「私個人の利益」に過ぎないことがほとんどです。要するに、一対のように考えている人が多い民主主義と自由主義との対立が起きていることを意味します。たとえば、少子化対策や女性の社会進出の後押しのためには、待機児童ゼロ実現に向けた保育園の新設が必要だ。この施策には、新聞を読みながら「当たり前だ」と思っていても、いざ自宅の隣に保育園が新設される計画が出ると「子供の声がうるさいから反対だ」と主張するという事例があります。

二つの主義をひと言で表すと、自由主義が個人の自由を、民主主義が個人間の平等を重んじるということになり、異なる原理を持っているのです。自由主義は、個人を自律的かつ主体的な人間として尊重し、社会的な意思や方向性は「あるべき論」として極力排除しようとするのに対して、民主主義は、国や国民の意志や理念が総体として「こうあるべき」という規範の存在を認め、この考え方に基づいて社会を作り上げていこうとします。

この問題が象徴的に現れているのが、昨今よく目にする「自己責任論」です。自由主義的な立場からは、個人の行動や考えは、他人から干渉されてはならない聖域だから、責任は個人にしか還元されえません。一方で、民主主義的な立場からは、個人の行動や考えは、所属する共同体から影響を受け、逆に影響を与えるものだから、責任は個人だけに還元されるものではないと考えます。最近の日本では、貧困者や遭難者に対して、「自分の選択の結果だろう」と言い放つことがクレバーだと考える風潮が強いのは、まさに自由主義的な立場を採用している人が多いからです。

民主主義とは、次の二つの前提を認めることからスタートします。

人間の生存のためには共同体が不可欠である。 共同体の成立のためには、時と場合によっては民意よりも公益を優先する必要がある。

現在の日本は、平和な時代が長く続いたこともあって、この民主主義の大前提を無視しているか、最初からまったく認知していない人が増えています。こうした自由主義的価値観を信奉する構成員が増えている現状を看過し、選挙制度を改革したり、選挙のときだけ有権者の耳目を喜ばすようなマニフェストを掲げたり、スーパーヒーローを出現させたりしても、日本の民主主義は本来の機能を取り戻すことが難しいでしょう。

ただし、民主主義が正しくて自由主義が悪いと言っているわけではありません。仮に日本人全体が国などという古くさい体制は不要だから解体して、どこの国に移り住むもよし、元の日本国土が、どこの誰の手に落ちようとも問題ないと思えるなら、それは一つの方針です。

しかし、民主主義の価値観より自由主義の価値観を優先させるという全国民的意思決定は、民主主義的手続きによってしか行えないというジレンマがあることは覚えておく必要があります。

もし、民主主義は理想ではないけれど、他に代替案がない以上、手段として十二分に機能を発揮させようとするなら、小手先の選挙制度改革は無力です。公益とは何かを知り、公益に資する仕事としての政治家の資質や政治のあり方を身につけた市民を学校教育によって育てていく覚悟が必要です。日本の民主主義には一閃の光明は差しつつも、前途は多難かもしれません。

(清水 泰志/経営コンサルタント)

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