元巨人投手「華やかな世界とは一線を引いて…」うどん店店主へ

WEB女性自身 / 2016年2月26日 6時0分

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生活の激変で急激に収入が減ることは十分、ありえることだ。しかし、対処の仕方によっては豊かで、シンプルな暮らしを手に入れるチャンスなのかもしれない。そこで、生活縮小(ダウンサイジング)を余儀なくされた人たちに、急激な収入減を乗り切った知恵を聞いた。
 
「現役生活は6年と短命で24歳で引退しました。プロ野球時代のことは夢だったくらいに思っています」
 
そう神妙に話すのは、いまやすっかり職人の雰囲気をまとう條辺剛さん(34)。東武東上線の上福岡駅から歩いて数分の商店街に、長嶋茂雄氏の筆で「條辺」と記されたのれんが掲げられる。「讃岐うどん 條辺」は元読売ジャイアンツ投手の店として、オープン時話題になったが、9年目を迎えたいまはその味が口コミで広がる。共に修業をし、店を切り盛りする妻の久恵さん(37)にも一緒に話を聞いた。
 
條辺さんは 00年にドラフト5位で入団。2年目の 01年は長嶋監督率いるチームの中継ぎ投手として活躍。翌シーズンも原監督の下でリーグ優勝にも貢献した。登板回数も増え年棒もうなぎ上りに。
 
「現役6年間の年棒を足すと総額1億円を超えますが、半分は税金で消えました。あと1千万円でベンツを買ったり。親にも車をプレゼントしたけれど。飲みに行くと後輩にはおごる習わしで一度に使う金額も大きかった。全然残らずで、いま思うと貯金しておけばよかったですね」(條辺さん)
 
選手生活は長くなかった。肩の不調で、現役続行を断念。「やり直すなら早いほうがいい!」と考え、社会人から声がかかったが引退の道を選択。そんな折に郷里の大先輩・水野雄仁氏から「宮崎でうどん店の修業をしては」と勧められた。24歳で心機一転。ベンツや、家財道具を処分し2人で宮崎へ向かった。「車はうどん店をするのにもう似合わないでしょう」という久恵さんの一言で踏ん切りがついた。
 
この後、月収に換算すると335万円減に。驚異の切り詰め生活がはじまるわけだが、見事にダウンサイジングできた経緯とその秘訣を、條辺さん夫妻が教えてくれた。
 
「もともと徳島の田舎者ですから。元に戻ればいいだけと割り切りました。好きだった車雑誌や高いものは見ないようにしましたね」(條辺さん)
 
久恵さんもこう前向きにとらえた。
 
「修行中だからと諦めていたのに、お給料もいただけたし。食事も朝昼晩とうどんを食べて、食費が全然かかりません。結構ごちそうにもなったのでお金を全然使わなかった」(久恵さん)
 
都会を離れ、生活習慣をガラリと変えることができ「うどん屋になる」手ごたえをつかんだ。しかしどうせなら、四国出身者としては「コシが命の讃岐を」と道が見えてきた。その後の1年半は香川に移り、修業のやり直し。修業先は讃岐うどんの名店「中西」である。「彼女もお一緒なら」という、条件で受け入れてもらえた。
 
「僕ひとりなら逃げ出すかもしれないと思われたし、実際そうだったかも。彼女はここで天ぷらの修業をして、いまも担当してくれている。修業はキツかったけれど、プロ野球時代に故障してからはいつ戦力外通告を受けるか戦々恐々とした日々でしたから。そのころを思い起こし、店を持って安定したいと頑張りました」(條辺さん)
 
 07年、2年間の修業を経て晴れて埼玉県の上福岡に開店。店は早朝7時から午後3時まで。日に300杯出る人気店に成長した。
 
「かつての教訓があるので、ほとんどを3人の子供の教育資金に貯金しています」(條辺さん)

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