大平光代さん ダウン症の娘と向き合った6年間の育児記録

WEB女性自身 / 2013年4月21日 7時0分


弁護士として幾多の少年事件を手がけた大平光代さん(47)。中2のときいじめが原因で割腹自殺未遂。16歳で暴力団の組長の妻となり、背中に観音様に蛇の入れ墨も入れた。22歳のときに養父との出会いで立ち直り、司法試験に合格。その後、同じ弁護士の川下清さん(58)と結婚し、’06年に悠ちゃん(6)を生んだ。5年前の’08年6月、住み慣れた大阪市内から、兵庫県丹波地方の山あいの町に家族で引っ越した。
 
「引っ越しは、ダウン症の悠(はるか)には、田舎のゆっくりした時間の流れのなかで育つのがいいと思っての決断でした。初めてこの町を訪れたとき、最初に目に飛び込んできたのが、とんがり屋根のかわいらしい小学校。すぐ近くには土の運動場をもつ保育園もあって。あっ、ここで子育てできたらいいなぁと思ったんです」
 
当時、2歳前の悠ちゃんの子育ては、大平さんにとって充実したものだった。ただ一点、食べることを除いては。すでに離乳食も始まっていたが、どんなに手を加えても、ヨーグルト以外、いっさい口にはしてくれなかった。まもなく3歳になるというときも。
 
「身長が77センチ、体重は8キロと100グラム。ちょうど1歳の子の大きさですね。やっぱり肉、魚はもちろん、ご飯も食べませんでした。おもゆもおかゆもダメ……。ほかの子は0歳でも10キロくらいあるのに、悠は4歳でもまだ10キロに届きませんでした」
 
今回の取材は小学校入学前の3月の終わり、まだ保育園に通っている時期に行われた。午後2時前、お迎えに同行する。悠ちゃんは、3年前と見違えるように成長していた。男の子とダンスをしたり、言葉もよく出る。今、95センチと12.5キロ。2歳児と3歳児の間ぐらいだ。メガネは弱視のため半年前から。言葉は聞き取りにくいが、お友達とのコミュニケーションには困らないという。
 
「いつも家より、保育園が一歩先を行ってくれました。4歳前に、突然おかゆを食べるようになったときもそう。野菜や肉を食べるようになったときも。園では、悠だけでなくアレルギーの子も80人全員の食の状況を知り尽くした調理師の方たちがメニューを工夫してくれました。最近は、丹波のイノシシやシカの肉まで食べるグルメです(笑)」
 
これからの小学校生活は母娘には未知のものだが、今は不安より期待が大きい。保育園の4年8カ月を通じて、子供は必ず成長していくことを教わったからだ。もちろん、一人一人のペースは違っていても。
 
「図書館には私の生い立ちをつづった本が置かれていて、上級生は読むかもしれません。それを誰かから悠に言われる前に、ある時期がきたら私から娘には話そうと思っています。私の受けたいじめのこと、非行に走ってしまったこと、この入れ墨のこともきちんと話すつもりです」

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