サッカー代表 40年前は「女性下着がスパッツ代わり」の劣悪環境

WEB女性自身 / 2013年6月20日 7時0分

現在、コンフェデ杯で熱戦を繰り広げているザックジャパン。いまやW杯常連国となった日本だが、わずか40年前はアマチュア集団だった。W杯出場が夢のまた夢だった’72年から、日本代表チームを400試合以上撮り続けているサッカーカメラマン・今井恭司さんが’70年代のサムライたちの姿を語ってくれた。
 
「代表合宿は千葉にあった東京大学検見川総合運動場。いわゆる大学の施設です。広い敷地に何面もグラウンドがあって、隣で大学のサッカー部が練習していたり。食事も大食堂で我々も一緒に食べ、メニューも学生たちと同じで、主食のおかず一品に、ごはんに味噌汁と漬け物程度。肉なんかまず出ません。ただ、代表だけは牛乳が1本ついていた。それが代表の特権でした(笑)」
 
現在の代表選ともなれば多くの報道陣がつめかけ、カメラマンの位置取りも大変な仕事。しかし、当時はそんなこと考える必要がないほどカメラマンが少なかった。限られた人だけが取材に来ることで、選手とメディアの垣根を超えた絆が生まれていたという。合宿所への出入りも自由。雑魚寝の大部屋には練習着が干してあったが、今井さんはそこで驚くような光景を目にしたという。
 
「室内に洗濯紐が張り巡らされ、練習着の隣には、どう見ても女性用のパンティが干してあるわけです。ビックリして選手に聞くと納得でしたが、いまと違ってインナー付きの短パンもなければ、スパッツもない。そこでもっとも穿き心地のいい女性用の下着がサポーター代わりに重宝されていたんです。フリルつきはさすがになかったけど(笑)。先輩選手が後輩や新人をつかまえては『お前の彼女の下着、センスないなぁ』なんてからかっていたのを思い出しますね」
 
今井さんは代表の海外遠征にも数多く帯同した。ただし、いまのように欧州ではなく、東南アジアが多かったという。
 
「そのころ、アマの日本とは海外の強豪国は試合を組んでくれず、やるとしてもクラブチームばかり。遠征は東南アジア方面が多く、宿舎はホテルではなく、大学の学生寮など。勝手を知らない新人選手は外出して、氷入りのジュースを飲んでよくお腹を壊していました。だから正露丸は必需品。また、食事も合わないから必ず梅干しも持参していました。それと、大事なのがバルサン。部屋で焚くとヤモリやクモ、ムカデなんかが音をたてて落ちてきました。この3つが遠征時の“三種の神器”でした」
 
すべての時間がゆっくりと流れているかのようだった’70年代の日本サッカー界。当時、選手を取り巻く環境はあらゆる意味で劣悪だった。それでも社業を終えてから練習し、国の威信をかけて戦った選手がいたことも事実。その闘争心は、劇的に変わった環境のなかで、脈々と受け継がれている。
 
(週刊FLASH 7月2日号)

女性自身

トピックスRSS

ランキング