「原発にいちばん近い工業高校」教師と生徒のいま

WEB女性自身 / 2013年12月29日 7時0分

福島県立小高工業高校。設立から50年間、地元企業に優秀で即戦力になる人材を送り込んできた。就職率は8年連続100%。キャリア教育推進校に選ばれ、’11年には文部科学大臣賞に輝いた。しかし今、小高工業に必ずついて回るフレーズは《福島第一原発にいちばん近い工業高校》。
 
第一原発からの距離はわずか14キロ。いまなお避難指示区域内に当たるため、授業は仮設校舎で行われている。震災前には586人いた生徒も、284人に激減した。現在の3年生は、震災の年の新1年生だ。彼らは一度も本校舎での授業を受けず、卒業していくことになる。
 
父親が第一原発関連の仕事をしており、同じような仕事をしたいと同校へ進んだ古田渉くん(18)は言う。
 
「もともとの志望は東電でしたが、原発事故が起き、社会的にもいろいろな議論があって、自分なりに考えているうちに、就職先候補の優先順位は下がっていきました」
 
彼は相馬東高校のサテライト校に割り振られ、体育館を区切っての教室で学び、第一種と第二種の電気工事士資格を取った。就職先は、東北電気保安協会だ。
 
工業化学科の吉田有沙さん(18)は、避難所を8回も変わりながらサテライト校や仮設の学校に通った。今年、小高工業代表の高校生平和大使を務め、スイスでの式典でスピーチをした。彼女は卒業後、福島学院大学短期大学部の保育科に進む。
 
「福島の母親の手記を読み、福島に戻りたいというお母さんたちが少しずつ出てきたことを知りました。でも、保育士さんも避難していて数が足りない。だから、私が地元で保育士になります!」
 
電気科長の井戸川義英先生は、この11月に60歳を迎え、来春、今の3年生と一緒に学校を“卒業”する。
 
「教師生活最後の3年間は、震災との闘いでもありました。サテライト校では、電気科も機械科も関係なく、いろんな生徒と触れ合うことができました。ワシは36年間、生徒はまだ幼い子供と思ってきましたが、どんな環境の中でも目標を見いだし、楽しいことを見つける。子供たちが持っている高い適応力に感心しました。つくづく若いというのは素晴らしいと思いました」
 
生徒たちは、退職間もない井戸川先生に、最高のプレゼントをしてくれたようだ。

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