澤地久枝 元軍国少女だからこそ語る“戦争のはなし”

WEB女性自身 / 2014年1月26日 10時0分

ノンフィクション作家の澤地久枝さん(83)は、1月14日、都内の日本記者クラブにいた。特定秘密保護法案の廃止と安倍政権の退陣を求めての「マスコミ9条の会」などによる会見に、発起人の1人として登壇。決意を語る口調は激しかった。「私は、どんな所にでももぐり込んで、(極秘情報を)取ってくる覚悟です。捕まるなら最初の囚人になります」。
 
『妻たちの二・二六事件』や、新聞記者が沖縄返還の密約を暴いた事件に迫った『密約外務省機密漏洩事件』などの著書もあり、国家が情報を独占する恐ろしさを知り尽くしている。そして、少女期の戦争体験も。そんな澤地さんには、危険な要素を含む法律がなしくずしに成立していく日本の現況が、戦争に邁進していく時代と重なって見える。いや、むしろ今のほうが悪い、と憤る。
 
「安倍内閣が約1年前に発足して以来、こんなにひどい政治は、私が80数年生きてきた歳月のなかでかつてないと思いました。そして、特定秘密保護法の成立。あの法律は今や、この社会にあるんです」
 
1930(昭和5)年、東京で生まれた澤地さんは4歳のとき、一家で満州に渡った。父は満鉄に勤めて、社宅に入り、中流の暮らしになった。’39年のノモンハン事件後、担任の出征を見送った。’42年、シンガポール陥落。
 
「吉林市の講堂では大祝賀会がありました。3人の少女が代表で軍歌を歌ったんですが、恥ずかしい話、その1人が私でした。〈この一戦、なにがなんでも、やりぬくぞ〉〈立つやたちまち撃滅の〉と――。今の方は肌でわからない感覚でしょう。私は軍歌をよく知っていたんです。なぜか。予科練に言って、死ななければと思っていたから」
 
予科練とは海軍飛行予科練習生のことで、女子は入れないのだが。一方、異国の地での悲惨な別れも経験した。
 
「上の弟が’40年に数えの3歳で、下の弟が’44年に生後7カ月で死にました。赤痢、チフスなど伝染病も多かったんです。弟の死は悲しくて、夢遊病になってしまうほどでした」
 
やがて、社宅のまわりの有刺鉄線や郵便ポストまで軍に供出されていくさまを見て、母が呟いた。「この戦争は負けるわね」。10代の澤地さんは、こう応じたという。「母ちゃん、非国民ね」。
 
’45年早々、校内は無炊飯梱包作業の工場になる。
 

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