美輪明宏、度胸培ったのは世間の裏表知った幼少時代

WEB女性自身 / 2014年2月23日 7時0分

 本誌隔週連載の「中山秀征の語り合いたい人」第10回のゲストは、歌手・俳優・演出家の美輪明宏さん(78)。その半生を振り返りながらお話いただきました。

中山秀征「昨年、美輪さんの半生を舞台化した『MIWA』を拝見させていただきまして。あらためて美輪さんの特殊性といいますか、生い立ちから背負っているものから何からのすごさを感じまして」

美輪明宏「異常って言いたいんでしょ? ふふふ。私は昭和10年、1953年生まれですが、誕生がこれより早くても遅くても駄目だったろうと思いますね。私の生まれる10年前は大正時代で、その25年前が明治時代ですよね。当時の街には明治時代の歌や生活習慣が残っていましたし、日本が世界から尊敬されていた文化が残っていた時代なんです」

中山「世界から尊敬されていた文化ですか」

美輪「日英博覧会で浮世絵や切り絵などの日本の美術文化を紹介したら、地球のどこにあるのかもわからない野蛮な国だと思っていた日本に、こんな高度で洗練された文化があるのかと世界中で驚かれたものです。モネもゴッホもゴーギャンもジャン・コクトーもみんな日本に憧れたんですよ。チャップリンなんて滞在中の日本で暗殺されそうになったのにその後もまた来日したり」

中山「危険な目に遭ってもまた来たいと思うくらい魅力を感じていたんですね」

美輪「ええ。それが戦争が始まった途端に『文化は軟弱である、国策に反する』とされて、クラシック、ジャズ、シャンソン、流行歌などは全部禁止。男は丸刈り国民服、女はもんぺ。パーマをかけていたら髪の毛をかられてしまうような国なりました。それが昭和20年8月15日を境に、昨日まで悪徳とされていた民主主義や自由主義、社会主義が全部美徳になって」

中山「一夜にして180度変わったんですね」

美輪「その通りです。じゃあ昨日まで民主主義や自由主義を唱えて殺されていった人は一体何だったの? 常識って一体何なの? とショックを受けました」

中山「そのころおいくつだったんですか」

美輪「小学校の5年生です。家は料亭にお風呂屋さん、カフェに遊郭に、小さな金貸し屋もやっていましたでしょ。子供ながらにも世間というものがよくわかったんです。お風呂やさんの番台に座って、上等なキャメルのコートなんかを着た紳士淑女が裸になると貧相な体をしているのを見ていて。着るものってなんなの? インチキじゃん!って」

中山「世の中の表裏をどんどん知るんですね」

美輪「遊び相手も大人ばかりでしたよ。女給さんたちにかわいがられて、男女の駆け引きの話なんかも普通に聞いていましたし、大人と全く同じ世界に生きていたんです」

中山「男女の機微を知る小学生ですか」

美輪「街のお偉いさんがカフェで酔っ払って、女給さんのスカートの中に手を入れてひっぱたかれてヘラヘラしている。なんだ、いつも偉そうにしているけど正体はこっちじゃん、って。後に東京で三島由紀夫さんや川端康成さんに『九州の田舎者は普通おどおどしているのに、君はどんな偉い人が来ても平気な顔している』と言われましたね。だから、人を見るときに容姿容貌、年齢、性別、国籍、着ているもの、肩書、性別、国籍、一切見ないことになったんです」

中山「中身を見るんですね」

美輪「この人間の正体は何なんだろう?って。だから福沢諭吉なんですよ。『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』」。

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