園子温が語るサンフランシスコでのホームレス時代

WEB女性自身 / 2014年3月21日 7時0分

 隔週連載“中山秀征の語り合いたい人”。今回は『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』等、個性的な衝撃作を世に送り続ける映画監督、園子温氏(52)。’93年、秀ちゃんが司会をしていた『もっと過激にパラダイス』(NHK・BS)に園監督が出演して以来、20年ぶりの再会となった。

中山「『ぴあ』の賞で評価され、自主制作映画を続けて、’99年には文化庁の新進芸術家在外研修員でアメリカに留学してますよね?」

園「もう時効だと勝手に思っているんですが、実はアメリカに行けばお金が支給されるから応募しただけ。しかも大きな声では言えないですけど、通わなきゃいけないバークレー校には1度も行ってないうえ、支給されたお金をあっという間に使い果たしてしまった。サンフランシスコでホームレスになったんです」

中山「え!?国から選ばれて留学したのに?」

園「ハハハ!そうですね(笑)。僕はものすごく不安で絶望していたんですが、かたや結構な楽観主義者でもある。絶望している一方で、『面白いなぁ。サンフランシスコでホームレスになっちゃってるよ』と、客観的に俯瞰している自分がいる。あといつかネタになると思っている節もあるんです。人はめったにホームレスになれない。一生に一度きりのチャンスだから、それなら楽しもうって。最長で半年くらい路上生活が続きました」

中山「普通の生活していて半年は早いけど、路上生活の半年は長いですよ。どういう生活内容だったんですか?」

園「ビーチで似顔絵を書いてる白人が多かったので、その仲間に入りました。1枚5ドル。僕は日本っぽいマンガの感じで攻めたら、珍しかったのか結構ウケましたよ。友人や知り合いも増えました。レンタルビデオ屋の白人のオヤジと仲よくなって、B級・C級どころか『チアリーダーvsヴァンパイア』みたいなZ級のひどい映画を借りて見たら『これだって映画なんだ。俺は今まで何を勘違いしてたんだ。これこそが映画だ。この最低感で突っ走ればよかったんだ』と、突然気付いたんです」

中山「そのときは路上生活者で(笑)」

園「ええ(笑)。それで知り合いに電話して『とんでもない映画を作りたい。題名は“自殺サークル”で、女子高生が新宿駅のプラットホームにずらーっと並んで、一斉に飛び込んでしまうんだ』とだけ伝えました。それがメジャーデビュー1本目です。ホームレス時代も来年くらいには映画にしようかなと思ってます」

中山「経験に勝るものはないですね。結果を出すには時間もかかるし、留学したからすぐいい映画が撮れるわけでもないですしね」

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