『花子とアン』が触れない大正美人・白蓮のタブー

WEB女性自身 / 2014年8月3日 16時0分

 視聴率絶好調のNHK朝連ドラ『花子とアン』。葉山蓮子(仲間由紀恵)は夫のいる身で宮本龍一と駆け落ち。夫に宛てた「絶縁状」が新聞紙上に掲載され大騒動に。しかし、ドラマはドラマ。触れられていない事実が多々ある。それを知れば、ドラマはますます面白い!

「絶縁状」のくだりは、大正時代最大のスキャンダル“白蓮事件”がモデルだ。1921(大正10)年10月、九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門夫人だった華族出身の歌人・柳原白蓮が、7歳年下の東京帝大生・宮本龍介と駆け落ちした事件。10月23日の朝日新聞夕刊には、白蓮から夫に宛てた「絶縁状」の全文とされる文章が、特ダネとして掲載された。

 しかし『柳原白蓮』(西日本新聞社)の著者で文学者の井上洋子さんが説明する。

「発表された絶縁状は、白蓮さんの手によるものではとうていありません。その文章は白蓮さんと恋人の龍介氏、そして東大の友人の赤松克麿氏と3人で書いたもの。白蓮さんが龍介氏のもとに出奔してきた事実は、その日のうちに龍介氏のもとに集まっていた東大時代の仲間たちに知れ渡り、その中に朝日新聞の社員が2人いたんです。絶縁状は、朝日新聞記者の手でさらに書き直されてしまった」

 絶縁状は、ただ私信が流出したわけではなく、弁護士である恋人、その友人、さらには朝日新聞記者の手が加えられた、計算され尽くしたものだった。これでは、夫・伝右衛門氏が太刀打ち出来ないのも当然だ。

 また、ドラマの蓮子は駆け落ち後、子供を妊娠。お腹の子の名前を考えるほほえましい様子が流れているが、白蓮には16歳で出産した長男がいた。14歳のときに結婚させられた最初の夫・北小路資武氏との子供・功光(いさみつ)氏だ。離婚の条件は、功光を北小路家に残すことだった。

 功光氏は計4回結婚している。功光氏の長男が「週刊新潮」’93年1月7日号でこう話している。

《父は、私がまだ幼いころ単身でオーストラリアへ行ってしまった。シドニー大学で日本美学の講師をしながら小説を書き、向こうで出版しているんです。帰国後、(長男の母親と)離婚して、今度は白蓮さんが世話してくれた女性と結婚し、満州中央銀行に就職。その後は、大連の満鉄図書館にも勤めましたが、仕事よりラジオドラマのシナリオを熱心に書いていたんですよ》

 功光氏自身「俺はめちゃくちゃだ」と嘆いたことがあったという。

《中途半端に終わった母子関係が原因で、今で言うマザー・コンプレックスから、わがままな人生を送ることになったといえるのではないか》(長男の言葉。「週刊新潮」’89年3月2日号)

 ドラマに、この長男・功光氏の存在は影も形もない。

(週刊FLASH8月12日号)

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