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「パラスポーツは“ただのスポーツ”になってほしい」パラ水泳選手が語る未来

女子SPA! / 2021年8月23日 15時46分

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一ノ瀬メイ選手

 8月24日、東京2020パラリンピックが開幕する。パンデミックの中での開催は、大会の意義を問い直すきっかけになるだろう。リオ大会で注目され、5つの日本記録を持ちながら、惜しくも代表を逃したパラ水泳の一ノ瀬メイ選手が、パラスポーツの可能性を語り尽くした。

※編集部追記(8/25、20:30)

初出のタイトル「パラリンピックはなくなればいい」について、一ノ瀬選手のtwitterで、意図と違うとのご指摘があり、タイトルを変更致しました。

◆競技外でも闘い続けてきたアスリート

 リオパラリンピックの元日本代表で、5つの日本記録を持つパラスイマーの一ノ瀬メイ選手は、先天性右前腕欠損症で生まれつき右腕が短い。その端整なルックスから「水のプリンセス」の愛称を持つが、自らの熱い思いを“まっすぐな言葉”で発信し続けてきたことで、たびたびメディアに取り上げられてきた。

「障害の『害』が平仮名なのが嫌い。害やからよくないやろ、で平仮名にする。私からしたら、障害は本人じゃなく社会やから。平仮名に直して、勝手に消さんといてほしい」

 時に、強気な言い回しで「障がい者」と社会の関わり合い方について多くの問題提起を行うなど、一ノ瀬選手は競技場の外でも闘い続けてきた真のアスリートと言っていいだろう。

 東京パラは「多様性と調和」「共生」を理念に掲げる。そんな今大会での表彰台を目指し、最終選考までの2年間はスポーツ大国・オーストラリアに練習拠点を移し、鍛錬してきた。

◆代表入りを逃すも「清々しかった」

 だが、今回は惜しくも代表入りを逃してしまった……。彼女はどう受け止めているのだろうか。

「もちろん悔しかったけれど、それまでの練習を振り返って『ああしておけばよかった』という後悔が一つもなかった。もっと落ち込むと思っていたんですが、意外にも清々しかったし、ポジティブな感情が湧いてきたのは驚きでしたね。

 オーストラリアでは、素晴らしい練習環境に恵まれました。向こうの水泳連盟は一つで、その中に五輪のヘッドコーチとパラのヘッドコーチがいて、連盟内で五輪とパラが分かれています。選手の側もジュニアの頃から健常者とパラの選手が同じ試合に出ていて、メニューによっては一緒に練習することもある。子供の頃から健常者と障がい者が一緒にいるのが当たり前なので、『障がい者差別はいけない』と教育する必要がそもそもないんです。

 一方、日本では、日本水泳連盟と日本パラ水泳連盟があり、試合も基本的に別だし、選手登録も別。初めから健常者と障がい者の線引きがなされている」

◆「腕がないから」と水泳クラブは入会拒否

 日本のパラアスリートを取り巻く環境は、一ノ瀬選手にも大きなハードルとして立ち塞がった。

「小学生の頃から、日本では練習環境を整えることにすごく苦労してきました。競技成績に直結するプールの中の努力の前に、プールの外でやらなければいけないことがとても多いのです。

 パラリンピックを目指したいと思ったときも、水泳をできる環境さえなかった。大学へのスポーツ推薦入学にしても、大多数の大学はパラリンピアンの推薦枠がない。当時、すでに日本記録を持ち、世界選手権の出場も決めていたけれど、ダメなんです……。ありがたいことに、近畿大学の水泳部監督はすごく理解があって入学できました。」

 実は、一ノ瀬選手は幼い頃に、日本と海外のパラアスリートを巡る環境の違いを目の当たりにしている。

「10歳のとき、日本の有名なスイミングクラブに入会を申し込んだら、泳ぎを見ることもせず、腕がないというだけで断られました……。それで、英国に1年間留学することを決め、実家近くのスイミングスクールを訪れると、腕については何も触れず、まず『何秒で泳げるの?』と聞かれて、すごく驚いたんです。

 実際、入会するとタイムだけでクラス分けされたし、障害の有無は関係ありませんでした。出場した大会でも、自分と同じような子たちがたくさん参加していたんです」

◆日本の教育は「順番が逆だし、不自然」

 障がい者を取り巻く社会のあり方は、日本と英国では大きく異なった。それはスポーツに限らず、教育の場でも顕著だったという。

「当時、英語の読み書きができず、公立小学校に入ると『特別な支援が必要な生徒』にサポートする先生がつくくようになっていた。私の場合、腕がないことはヘルプの対象ではなく(笑)、英語の読み書きをマンツーマンで教わりました。クラスには知的障害の子もいたけれど、『障がい者』を一括りに分け隔てるのではなく、健常者も障がい者もごちゃ混ぜにして、個人に合わせて支援していたんです。

 ところが日本では、健常者とは別に、障がい者は特別支援学校で教育を受ける。分けるから、学校教育で障がい者や差別について教えることになるんですよ。健常者と障がい者が学校でごちゃ混ぜだったら、子供は障がい者について自然と学んでいく。日本では障がい者を初等教育の段階で分けておいて、後から障がい者教育というかたちで統合しようとしている……順番が逆だし、不自然なやり方です」

◆水泳は社会を変えるための発信ツールだった

 英国では’01年、「特別な教育ニーズと障害法」の施行に伴い、「すべての子供は一般学校で教育を受ける」政策が一層強化された。

 インクルーシブ教育(障害のある子供と、それ以外の子供を分け隔てなく行う教育)で世界をリードする英国の学校を、幼い一ノ瀬選手は目にしていたのだ。だからこそ、彼女は発信を続けるのだろう。

「幼い頃から理想的な社会を体験できたことはすごくラッキーでした。こうした経験がなかったら、日本の遅れた現状を前に絶望するだけだったかもしれない……。でも、理想的な社会をこの目で見ているので、そこに向かっていけばいい。振り返れば、私にとって水泳は社会を変えるための発信ツールだったのでしょうね」

◆『24時間テレビ』は非日常の“感動ポルノ”

 パラリンピックの開幕を控え、テレビをはじめとするメディアにパラアスリートが登場することが多くなっている。

「日本のメディアに障がい者が登場する機会は、パラスポーツに偏っています。日本では、パラスポーツが“ただのスポーツ”として存在できていないから、特別視される。

 例えば、パラスポーツの大会に取材に来るのは運動部ではなく、社会部の福祉担当記者で、スポーツを知らない人が多い。一方、運動部の記者は五輪選手の取材はしても、パラ選手の取材には来ない……(※)。あらゆる差別がなくなったとき、パラスポーツは今のような特別な存在ではなく、ようやく“ただのスポーツ”になれます。

『24時間テレビ』など、テレビの障がい者の取り上げ方にしても、イベント的にフォーカスして、非日常として物語を描いているのも問題です。日常的な視点で取り上げなければ変化は起きず、障がい者は“感動ポルノ”としてただ消費されるだけです。障がい者個人にフォーカスすると、社会の問題が見えにくくなり、多くの人が障がい者を巡る問題を考えるきっかけも失われてしまう」

※編集部追記(8/25、20:30)

この点について、一ノ瀬選手のtwitterで「これは過去の話で現在は違う」とのご指摘がありました。

◆パラスポーツは“ただのスポーツ”にならなきゃいけない

 では、一ノ瀬選手はパラリンピックの意義をどこに見いだしているのか。その答えは、やはり従来の「障がい者」の枠に収まり切らない彼女らしいものだった。

「パラリンピックがなくなり、五輪の一カテゴリーとしてパラ競技が行われるようになればいい。

 例えば、車椅子バスケットボールは、国内大会なら障害がない人も参加することができます。障がい者スポーツと捉えるのではなく、『車椅子バスケ』という一つの競技として扱われていけば、パラリンピックはより意義ある大会になる。車椅子バスケやブラインドサッカーのチームに健常者がいたら、面白そうでいいじゃないですか(笑)。

 インクルーシブって小難しいことではなくて、楽しいもの。パラスポーツは健常者のスポーツの“障がい者版”ではなく、“ただのスポーツ”にならなきゃいけない」

 一ノ瀬選手が思い描く理想の一部は、実はすでに叶っていた。

 ’12年、両脚義足のスプリンターのオスカー・ピストリウス(南ア)がロンドン五輪に出場し、大いに注目を集めたのだ。だが現在、世界記録を更新し続ける義足のジャンパー、マルクス・レーム(独・右写真)が東京五輪への出場を訴えると、国際陸連に退けられた。開きかけたかに見えたパラスポーツの可能性の扉は、閉じられてしまうのか……。

【一ノ瀬メイ】

’97年、京都府生まれ。英国人の父、日本人の母を持つ。近畿大学職員。1歳半で水泳を始め、小学4年生でパラリンピックを目指す。’16年、ジャパンパラ競技大会200m個人メドレー、100mバタフライ、50m自由形 で1位。リオパラリンピックで4×100mリレー6位、4×100mメドレーリレー7位。5つの日本記録を保有する

<取材・文/齊藤武宏 撮影/浅野将司 写真/朝日新聞社 写真提供/近畿大学>

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