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「朝ドラにBL要素いる?」「国民的ドラマで?」の声も…『虎に翼』への“トンチンカンな意見”に反論

女子SPA! / 2024年6月18日 8時46分

 仮に同性である花岡に心を寄せる轟が、男性の同性愛者だとして、でもそれを「BL」と形容することはあまりに乱暴ではないか。現在の「BL」文化を準備した(とも言える)「JUNE小説」(雑誌『JUNE』に掲載された男性同性愛小説)の元祖と目される森茉莉が、代表作『恋人たちの森』などを出版するのは戦後15年以上も後のこと。

「JUNE」は「BL」より耽美的要素が強い。誤解を恐れずに言えば、恣意的なフィクション性が強い「BL」とはニュアンスが違う。その上で理解するなら、轟の「惚れてた」感情とは、もっと踏み込んだ、生身の人間の実感が宿るもの。

「JUNE」的な同性愛の表象と言ったほうが近いかもしれない。この感覚を理解するのは当事者でも容易ではないが、ひとつの解釈を導入して説明することはできいるかもしれない。

◆ホモソーシャルという考え方

 例えば、戦後最大の作家・三島由紀夫が1949年に発表した『仮面の告白』を読めば、(轟と同じ)戦後を生きる男性が男性を愛する同性愛の基礎知識は得られる。三島が描く主人公の場合、朽ち果てる男性の肉体を夢想するのだが、「兵隊に取られずに済むと思うと嬉しかった」と感情が高まる轟の言葉は、三島的な耽美的世界の反語のようにも聞こえる。でも、男性同士のつながりとは、同性愛だけではない。

 社会学的には、もうひとつ、ホモソーシャルという考え方がある。ホモソーシャルとは、社会の中での男性同士の強い結びつきを定義した言葉だ。女性嫌悪(ミソジニー)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)というふたつの嫌悪が含まれていることが、この言葉の肝心なところ。

『虎に翼』がかなりの話数をかけて主人公の抵抗の歴史として描いてきた核心部分に関わってくる考え方でもある。当初の轟は、寅子たちが女子部から上がってくるなり、女性嫌悪(蔑視)的な発言で、反感を買いまくっていた。

 レディファースト精神で取り繕っていた花岡もまた、次第に女性蔑視の心境を吐露する。つまり、ある時期までの花岡と轟は、ミソジニーによって、同性同士のつながりを強化し、男性主体の社会構造を補強していたことになる(寅子がそれを打倒しようとしたのは言うまでもない)。

◆本作の鋭い批評性

 定義上、それが同性愛に傾斜することはない。言わば、ホモセクシュアルすれすれの関係で踏みとどまることで、ホモソーシャルな男性社会の仕組みがかろうじて保たれたということ。男性社会の枠組みを変革することが目指されつつ、そうした社会の中でしか育まれない、男性同士の朋友精神(友情)が温められる美しさは否定し切れない。

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