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朝ドラ『虎に翼』で最大の発明といえる重要フレーズ。プロデューサーによる“定義”にも注目

女子SPA! / 2024年6月23日 8時47分

 足を滑らせた花岡が崖から落下する。画面上、なかなか下へ落下していかずに、宙を泳ぐかのような花岡は、大口を開けて「あぁぁ~」と叫んでいるが、表情全体は無そのもの。彼の感情はどこへやら、まさに「スンッ」の落下を見事なアクション場面として岩田剛典が表現していた気がしないでもない。

 男性の存在が寅子から「スンッ」の状態を吹き払うこともある。戦後、家族を養うために司法省の事務官になった寅子だが、どうも自分の気持ちを押し殺してしまう。なぜだか以前のような調子で相手に「はて」を突きつけられない。そんなとき、寅子を再起させるのが、明律大学の恩師で法学者の穂高重親(小林薫)だ。

◆「スンッ」からの「はて」のセットプレー

 司法省で頻繁に顔を合わせるようになった第10週第49回のこと。審議会の休憩時間、穂高が寅子を呼び止めて、自分が法学の世界に引き込んでしまったからお詫びに家庭教師の仕事をあっせんしようとする。

 確かにいい話かもしれない。でも寅子の「スンッ」はこの瞬間に「カチン」に変わる。自分は好きでこの世界にいるんだ。それを今さら。冗談じゃない。穂高のトンチンカンな提案に対して寅子は、「はて」を連打する。

 よし、本来の寅子に戻ったぞ。「スンッ」からの「はて」のセットプレーのような場面は、あまりにも清々しい瞬間だった。戦前の「はて」から戦後の「スンッ」に揺り戻された寅子が、ほんとうの意味で「スンッ」から解放されたのだ。

◆「スンッ」の定義

 そもそもこの「スンッ」とは、明確に定義されているものなのだろうか? 第2回の「スンッ」初登場から見続けていれば、それが明確には定義仕切れない、とても複雑な感情であることは明白である。

 それでも本作の石澤かおるプロデューサーが一応の定義を解説してくれている。曰く、「そうせざるを得ないときがあるけれど、そんな自分が悲しくもある」という感情を成分とする表現なのだと(『NEWS PICKS』インタビューより引用)。

 この定義らしき感情を理解するなら、これは葛藤そのものであり、葛藤を経て駆り立てられるストラッグル(闘争)を温存した状態でもある。だから寅子の場合、「スンッ」に陥ったところから、「はて」の違和感を突きつける、何かきっかけが必要だった。

 それが穂高だったが、伊藤の演技レベルで考えても、「はて」のアウトプットを通じて「スンッ」をチャージ(温存)しているように見える。

 定義が明確ではないからこそ、伊藤の演技がそれを補足する。「スンッ」からの解放運動が視聴者の心に息づくとき、定義はもっと明確になるのではないだろうか?

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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