1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

稲葉貴子、太陽とシスコムーンは「最後のチャンス」だった。誹謗中傷に悩んだ過去も

女子SPA! / 2024年8月14日 15時46分

稲葉「人生そのものが終わってしまうわけではないので(笑)、崖っぷちとまでは思っていませんでした。芸能の世界ではないところで、普通に暮らしていくだけの話です。

この世界って自分の頑張りも必要だけど、それだけではどうしようもないことってあるんです。一つのお仕事をいただいたら、またそのご縁で次のお話が……の繰り返し。オーディションがダメだったらそういうことだし、合格したらまだ続けていいよってことだと思っていました」

◆「可愛いアイドル」の枠にハマれず、ひどい批判も

――オーディションに受かり、太シスとして新たに活動を開始。ASAYANでも大々的に取り上げられていた全盛期はどのような心境だったのでしょう。

稲葉「なんかもう……記憶がないところがけっこうあるんですよね。毎日目の前にあることを一生懸命やるしかなかったから。OPDでも歌やダンス、ライブもやっていましたが、太シスの活動はそれだけではなく、初めて経験することも多かったんです。ASAYANは台本がなくて、当日その場で内容を知らされますし(笑)。

それに今では考えられないほどの目まぐるしいスケジューリングでした。仕事が終わった後のメンバーとの挨拶も『また明日!』ではなく『また後で!』くらいの感覚だったくらい」

――寝る時間もないレベルだったのですね。

稲葉「そこはやっていて少し辛かった部分かもしれません。でも、遊ぶ時間が欲しいとかはなかったですよ。活動自体は楽しいし、好きなことができている実感がありました。私は特にライブが一番好きでしたね。お客さんの直接の反応が返ってくることがとても楽しかったし、これは今でも変わっていません。

逆にテレビの収録のお仕事は苦手でした。写真撮影も同様ですが、私はカメラ越しの見えない誰かに向けて笑ったり、表情を作ったりすることは得意ではなかったみたいです」

――他にも今だから言えるつらかったことはありますか?

稲葉「楽曲も見せ方も“可愛らしいアイドル”とは異なっていたためか、好評価をいただく反面、ひどい言葉で批判されることもすごくありました。自分たちは“アイドル”という意識じゃなかったけれど、どうしてもその枠にはめられてしまって。当時は私たちのようなグループを表現する言葉が一般的ではなかったように思います」

◆「私は何も持っていない」と悩んだことも

――パフォーマングループの走りかもしれませんね。そのカッコよさを体現できたのはメンバー4人の個性があったからこそでしょうか。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください