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3児の父、麒麟・田村裕が“子育てへの不安”を明かす「子どもに同じ思いをさせたくなくて…」

女子SPA! / 2024年11月5日 15時46分

――怒らなくなったきっかけはあったのでしょうか?

田村:上のお姉ちゃん2人が、1番下の弟に、僕そっくりの怒り方をしていたからです。「もうあんただけ連れて行かへんで! 家で1人で留守番してたらいいわ」とか言っているのを聞いて、「これ地獄やな」と反省しました。僕自身が変わらないと子どもたちも絶対に変わらないと思ったんです。僕があまり怒らなくなったことで、お姉ちゃんたちの言い方も少しだけマシになってきているように感じます。僕が見ているときだけかもしれないですが(笑)。それだけでも十分だし、こういう言い方はよくないという価値観感の種が植え付けられていれば、本人が自覚したときに勝手に花が咲くんじゃないかと思います。

なんか、この話だけ読むとめっちゃいいパパみたいですけど、生身の人間やから機嫌が悪い日もあるし、空気読まれへんところもあります。子育ては難し過ぎますね。

◆「40歳くらいで死ぬやろうな」と思って生きてきた

――44歳で亡くなったお母様の年齢を越えたことについて、どんな思いがあるのでしょうか。

田村:お母さんが早くに亡くなったから、「僕自身も40歳くらいで死ぬやろうな」と思って生きてきました。今はその年齢を越えましたが、そこから先をまったくイメージしていなかったので、「まだ生きれるんだ」という思いがあります。

親父は70代まで生きたので、「親父と同じ年齢まで生きる可能性もあるのかな」と思って、家族と一緒に何ができるのか、家族全員の旅行や、例えば長女がもう少し大きくなったら2人で海外旅行したりもできるんかなとか、最近になってやっと想像するようになりました。

それでも、「子どもの結婚式は出られへんやろうな」と何となく思っているし、今は終活を少しずつ始めています。みんなに早過ぎると言われるんですが(笑)。もう少し長く生きられる可能性を考え始めたことで、「期待してしまっていいのかな」と自分の中ですごく揺れているところです。

――今後は、どんなことをやっていきたいですか?

田村:これから子どもたちのいろいろな場面を見ることができるかもしれないし、子どもたちが弱っているときには寄り添ってあげたいと思っています。そのためには健康でないといけないし、奥さんともいい関係でないといけない。病気の原因はストレスが大きいと思っているので、奥さんのストレスを少しでも緩和していきたいですね。そのためにはお金がないといけないから、もっと仕事がほしいですし、1つ1つの仕事を頑張っていきたいと思っています。

<取材・文/都田ミツコ 撮影/鈴木大喜>

【都田ミツコ】
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。

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