「まるで廃墟」さびれた熱海を圧倒的にV字回復させたのは、Uターンした若者だった

週刊女性PRIME / 2019年4月19日 8時0分

平日でも多くの観光客が訪れる熱海駅前。さびれた温泉街とは、もう言わせません!

「どこの馬の骨かわからない人間に協力はできないと言われて、“馬の骨”という言葉を本当に使う人がいるんだなって、驚きましたね」

 そう話すのは、NPO法人『atamista』代表理事の市来広一郎さん。さびれた温泉街としてくすぶっていた熱海を再びよみがえらせた立役者だ。

「友人を熱海に連れてきた際に、“まるで廃墟だね”と言われたことが忘れられなかった」

「まずは内部から」が理解されない

 1960年代半ば、500万人を超えていた熱海の宿泊客数はバブル崩壊に伴い、およそ半分にまで急減。駅前は廃れ、海沿いの宿泊施設の明かりも乏しくなる一方……。その姿を変えたいと2007年、市来さんは28歳のときに離職し、東京から熱海に戻ることを決意した。

 だが、Uターンしたものの再興へつながるツテはない。まず、市来さんが手がけたのが、熱海の街や人を紹介するウェブマガジン。

「昼に取材をし、夜は塾講師として生活するというのが3年ほど続きました」

 と、苦笑いしながら当時を振り返る。

「地元に活気を取り戻すには、熱海に暮らす住民が盛り上がらなければいけません。外部の観光客を誘致するのではなく、まずは内部である地元から熱を生み出す必要があります。ところが、そのことを説明してもなかなか理解してもらえなかった」

 観光客が増えなければお金にならない──。団体客など観光客で潤ってきた昔気質の熱海の人の中には、市来さんの考えに賛同できない人も多かった。

 冒頭のひと言は、思いだけでは変わらないという厳しい現実を突きつけるものだった。

「音楽イベントを開催しようと、ある通りの商店街の方々に1口500円の協賛金を募ったところ、怒号が飛び交った光景は忘れられません」

 今でこそ笑い話と市来さんは言うが、当時は心が折れかけた。

「いきなり大きく変えることは無理だと思いました。以来、熱海を変えたいと願う身近な住民や店舗と、小さなことから始めようと方向転換したのです。形にして提示することで、段階的に理解者を増やしていくしかないだろう、と

“意図していないのにV字回復”

 '09年には、地元民にもっと熱海を知ってもらう体験交流型イベント『オンたま(熱海温泉玉手箱)』をスタート。干物作りや文人が愛した熱海の別荘地を訪ねるツアーなどを開催。

 多岐にわたるアプローチにより、徐々に地元での輪を広げることにつながっていく。

「“継続は力なり”ではないですが、続けていくことが大事だなって。市や観光協会の中にも理解者が増え、手ごたえを感じ始めるようになりました」

 観光客に頼るのではなく、地元から活気を生み出すという発想は、次第に定着。'13年には、熱海銀座通り周辺を大々的に開放する青空市場『海辺のあたみマルシェ』を開催した。

「Uターンした当時、銀座通りはシャッター通り寸前でしたが、今では新規のお店が出店するなど盛り上がっています。20代、30代の若い方も増え、中には熱海の活気を気に入って移住される方も少なくない」

「最近、熱海がアツい」というウワサを聞きつけた老若男女が集い始め、'15年には宿泊客数が300万人を突破。“意図していないのにV字回復”という激レアな復活劇を作り出すまでに発展した。

「熱海は、観光客に頼りすぎてさびれた過去がある。浮かれることなく、これからも熱海を第一に、みんなで楽しめる機会を創出していきたいですね」

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング