祖母のひと言で受けたショック、徹底的な取材のうえで構築された“認知症”の物語

週刊女性PRIME / 2019年5月26日 14時0分

川村元気 撮影/山田智絵

 本作は小説、映画、音楽など多岐にわたる分野で才能を発揮する川村元気さんの4作目の小説。息子を忘れていく母と、母との思い出を蘇らせていく息子の愛と記憶とひとつの事件の物語だ。まずは作品作りの経緯について伺った。

「5年前に認知症になった祖母に久しぶりに会ったら『あなた誰?』と言われたんです。当時、僕は35歳でしたが、ショックを受けたのと同時に『あなた誰?』に対して答えられない自分に混乱しました。

 何と言ったら自分というものを証明できるのかがわからなかった。自分の名前や仕事、好きな色や食べ物、はたしてそれが自分の証明なのかと問われると自信がない。さらに言えば、祖母が僕を忘れてしまったら、祖母と自分は親族なのかと。仮に僕を忘れてしまったのが母であったら、自分と母の関係を何が証明してくれるのか……。そこが執筆の入り口でした」

 その後、祖母と会うたびに、自分と祖母との思い出を話していったと語る川村さん。

「こういう場所に行った、こういうものを食べたといった話を重ねていきました。祖母は僕のことを思い出したり、忘れたりとまだらな状態でしたが、一緒に海に行ったエピソードを話したら、それは湖だと訂正されたんです。『そんなことないよ』と、その場では否定したのですが、自宅に帰って写真で確認してみると、祖母が言っていたほうが正しかった。これには驚きました。

 いかに自分が記憶を改ざんしたり、都合よく忘れて生きているかを、記憶をなくしていく祖母と話をしていくうちに気づかされたんです。ですから、記憶を失っていく人の話ではなく、記憶を失った母と向き合うことで、自分の記憶の曖昧さに気づいていく息子の話を書きたいと思ったのが最初です」

 また、自著の理系研究者との対話集『理系に学ぶ。』での人工知能研究者・松尾豊氏との対話も大きく影響した。

「松尾さんに『なぜ人工知能(AI)を作りたいのか』と尋ねると『人間を作りたいからです』という答えが返ってきました。そのためには、ひたすらいろんなことを記憶させるのだと。

 例えば、将棋のAIを作るのであれば、ありとあらゆる棋譜を暗記させる。それを聞いたときに、人間はやはり身体ではなく記憶でできていると確信しました。同時に自分がもしすごい作家のAIを作るなら、その作家から“愛”の記憶を全部消去するのではないかと思ったんです。

 すると“愛”の記憶がない作家のAIは、それ以外のありとあらゆる言葉と表現を使って、“愛”を創造しようとする。そのときにこそ素晴らしい作家性、個性が生まれるのではないかと。

 作家でなくても人間は自分の欠損部分を埋めようとすることで、それが個性や生き方になっていく。人は“何を覚えているか”ではなく“何を忘れてしまったか”で、できているのではないかという気づきがあったんです。

 ですから認知症になって忘れていく中で、それでも最後まで覚えていることが、その人を絶対的に決定づける、という話を書きたいと思うようになりました」

認知症の人は
何を見ているのか

 徹底した取材のうえで物語を構築することで知られる川村さん。本作も取材に多くの時間を費やした。

200万部近い大ベストセラーになった有吉佐和子さんの『恍惚の人』は当時、痴呆と呼ばれていた認知症を日本で初めて本格的に取り上げた小説ですが、発刊は47年前。

 読んでみると、いまだにそのころから認知症のイメージが変わっていないことに驚きました。現在、認知症患者は500万人、2025年には700万人という推計もあり、これは65歳以上の5人に1人が羅患する計算です。

 もちろん大変なことはたくさんありますが、認知症が日常になっていくなかで、いつまでも『恍惚の人』のイメージでいいのかという疑問がありました。

 とはいえ僕は祖母の例しか知らないので、認知症の方100人近くにお会いして話を聞き、全国の10以上のさまざまなタイプのケア施設も視察しました。

 僕なりに今の時代の認知症と認知症に向き合う家族のリアリティー、その先にある希望を知りたかったし書いてみたかった。そこが取材の出発点だったと思います」

 本作は認知症の母とそれを見ている息子の目線が交互に出てくる。川村さんは“認知症の人が何を見ているのか”も書きたかったと語る。

例えば、徘徊にもちゃんと理由がある。それを認知症の方の目線になって知ることがとても大事だと思ったんです。知らないものは怖い、わからない、遠ざけたいのは当然です。でも、いろんな対策を講じる前に『ああ、こうなっているんだ』と知り、理解することが必要なのではないでしょうか」

 最後に読者へのメッセージをお願いした。

認知症が当たり前の世界がやってきます。そのときにそれを悲しい、悲惨とだけとらえていては生きていけません。だからこそ執筆にあたり、できるだけ希望の物語として描きたいと思いました。

 認知症というテーマですが、エンターテイメント小説として、ミステリーがあって、ラブストーリーがあって、ヒューマンドラマと感動で終わるものにあえてしたかった。物語に触れる中で読者自身が自分の記憶を蘇らせ、物語と読者の記憶が融合していくなかで小説が完結してほしいと願っています」

著者の素顔

 川村さん製作の映画『君の名は。』はハリウッドでの実写化が進行中だ。プロデューサー・JJエイブラムスとの打ち合わせのため、取材後はLAに飛ぶという。1年の3分の1は海外に出て仕事をこなすが、幅広い分野の仕事で多くの人と出会い、そこで受け取る言葉が作家としての自分のアドバンテージだと彼は言う。「出会った人それぞれに多様な人生のエピソードがある。例えばこの『百花』にも、執筆中に映画『億男』の公開を記念して対談した高橋一生さんから聞いた、彼と彼の祖母とのエピソードも入っています。日常的な会話の中でも、常に取材をしているようなものですね」と笑顔で語ってくれた。

<PROFILE>1979年、横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』などの映画を製作。2011年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少受賞。’12年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表し、世界15か国で出版され200万部超のベストセラーに。’18年、初監督映画『どちらを』がカンヌ国際映画祭短編コンペティション部門に選出。ほかに小説『億男』『四月になれば彼女は』、対話集『仕事。』『理系に学ぶ。』『超企画会議』など。

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