〈上智大生殺害〉23年たった今も捜査は続いていた!DNA鑑定を受けた記者が事件を追う

週刊女性PRIME / 2019年12月12日 8時0分

在りし日の小林順子さん。才色兼備でこれからの活躍が期待される女性だった

「警視庁捜査一課です」

 インターフォンのモニター画面には、そう勢いよく言った男性の姿が映し出されている。続けて警察手帳を広げて見せた。

「上智大生殺害事件の捜査でうかがいました」

水面下で捜査続行

 今年9月下旬のある日曜日。都内のマンションにいた私は、朝っぱらから何事かと思い、不審に感じてもう1度警察手帳を見せるよう求めた。だが、相手は確かに刑事のようだ。

 ドアを開けると、眼鏡をかけた私服姿の刑事が立っていた。あらためて事情説明を受け、DNAサンプルの採取に協力を求められた。

「任意ですか? お断りするとどうなりますか?」

 試しにそう尋ねると、刑事は答えた。

「断っていただいても大丈夫ですけど、そうすると今度は水谷さんの周りの方々にご迷惑がかかってしまいます。例えばご友人や知人の方々に、『水谷さんはどんな方ですか?』とお聞きすることになりますから」

 DNA採取キットを渡され、指示されるままに協力をした。

 被害者は小林順子さん(当時21歳)。上智大学外国語学部英語学科の4年生で、面識はないが、私の2年先輩に当たる。東南アジアの地域研究をするゼミも同じ教授だったことから、私にも捜査の範囲が及んだとみられる。

 日本国内で発生した未解決事件で、水面下で捜査が行われる現場を目の当たりにしたのは、後にも先にもこのときが初めて。

 順子さんの事件は発生から23年が経過していただけに、「まだ捜査を続行していたのか」と驚いたのが、正直な感想だった。

 京成電鉄金町線の柴又駅を降りると、映画『男はつらいよ』の主人公、寅さんの銅像が現れる。その周りで、スマホを片手に自撮りを楽しむ観光客の姿が見られた。さらに50メートルほど進むと、柴又帝釈天の参道に差しかかり、手焼きせんべい、くず餅など、昔ながらの土産物店や飲食店が立ち並ぶ。

 その一角から線路を挟んで反対側、ちょうど駅から北西に約250メートルの閑静な住宅街が、事件の現場だった。そこには現在、金町消防団第8分団格納庫が立ち、遺族の思いが託された「順子地蔵」が、手を合わせて見守っている。

49分の犯行

 その日は朝から雨が降り続いていた。

 1996年9月9日夕、順子さんは自宅で何者かに殺害され、放火された。

 遺体は2階にある両親の和室で見つかった。口を粘着テープでふさがれ、首には複数の刺し傷があった。傷痕から小型刃物が使われたとみられるが、現場で犯行に使われた凶器は見つかっていない。

 両手は粘着テープで、両足はストッキングでそれぞれ縛られ、遺体には布団がかけられていた。着衣に乱れはなく、死因は失血死とみられる。

 順子さんはすすを吸っていなかったことから、犯人は殺害後、証拠隠滅のために火を放った可能性がある。

 2日後に米国留学を控えていた順子さんの自室には、旅行カバンやリュックサックが用意されていたが、物色された形跡はなく、トラベラーズチェックや現金など14万円相当は手つかずのまま。

 順子さんは父、賢二さんと母、幸子さん、姉の4人暮らし。その日、賢二さんと姉は仕事で外出しており、幸子さんは午後3時50分ごろ、パート先の美容院へ出かけ、順子さんは1人になったところを襲われた。

 火災の110番通報があったのは午後4時39分で、犯人は49分という短時間で犯行に及んでいた。

 自宅玄関前では、不審な男が目撃されていた。年齢は30代後半、身長約160センチで、黄土色っぽいコートを着ていた。このほかにも不審人物の目撃情報は複数あるが、警視庁が似顔絵まで公開したのはその男性1人だけだ。

 しかし、放火によって物証が極めて少なかったため、捜査は難航を極めた。

 その後の調べで、粘着テープは静岡県下の工場で平成6年1月以降に製造されたものだとわかった。粘着面には犬の毛や植物片などが付着していたことから、犯人が着衣などを通して外から持ち込んだ可能性がある。

 玄関近くで見つかったマッチ箱に付着していた微量の血液、順子さんにかけられた布団に付着していた血液からそれぞれ検出されたDNA型が一致し、犯人の血液型はA型であることも判明した。

 マッチ箱は放火に使われたもので、付着した血液は、犯行時に犯人が何らかのケガを負ったためとみられる。

 順子さんの両足が縛られたストッキングは「からげ結び」と呼ばれる、特殊な結び方が使われていた。

 警視庁はこれまで、捜査人員のべ約10万6800人を投入し、順子さんの交友関係を中心に約8千人から事情聴取した。亀有警察署に設置された特別捜査本部は現在、23人態勢で捜査を継続中。寄せられた情報は1547件にのぼるが、犯人逮捕につながる有力な手がかりは得られていない。

 警視庁の渡會幸治捜査第一課長は、犯人像についてこう説明した。

「事件が平日午後4時ごろに発生していることから、この時間帯に犯行可能な男性と思われます。周辺の土地勘がある可能性はありますが、順子さんと顔見知りかどうかはわかりません」

 それにしてもなぜ、順子さんが襲われなければならなかったのか。

「怨恨、わいせつ、金銭目的を含め、すべての可能性を排除せずに捜査しています」

 動機について渡會課長はそう語ったが、順子さんが人から恨まれていたという情報はない。順子さんの私物には手がつけられず、自宅1階のキャビネットから旧1万円札がなくなっていたものの、金銭目的とするには弱い証拠だ。加えて物証に乏しい放火現場の状況から、渡會課長は「動機は本当にわからないところもある」とも漏らした。

 一時はストーカー説も浮上したが、立証には至っていない。

念願の米留学、絶たれる

「あれから未解決。一体、誰が? なぜ? なぜわが家が? なぜ彼女が? それらの疑問符がずっと今まで続いています」

 順子さんの父、賢二さん(73)が語気を強めて言った。

 順子さんは上智大学外国語学部英語学科の中でも、最もレベルの高いAクラスだった。周りは帰国子女ばかりで、最初は「授業についていけない」と悩んでいたが、そんな環境にも徐々に慣れていった。小・中学生に英語を教えるボランティアサークル「サマー・ティーチング・プログラム(STP)」に所属し、夏休みには新潟で活動を楽しんだ。

 3年時に専攻した東南アジアのゼミでは、1週間かけてタイ、マレーシア、シンガポールの調査に出かけた。同じ調査班だった同級生の男性(46)は、こう振り返った。

「日本の漫画などサブカルチャーの普及についての調査でした。彼女は英語が流暢で、物怖じしない、自分の考えを持ったしっかり者でした」

 そんな順子さんには、学生生活を謳歌してもらいたいと、賢二さんは門限を設けなかった。たまに遅く帰ってくると、ひと駅離れた高砂駅まで自転車で迎えに行った。順子さんを荷台に乗せ、ハンドルを揺らしながら夜道をこいでいたのが、昨日のことのように思い出される。

「いくら帰りが遅くても、僕は決して怒りませんでした。自分が経験していないキャンパスライフを謳歌しているんだなと。そんな思いで見ていました」

 ジャーナリスト志望だった順子さんは4年生のとき、念願の米シアトル大学への交換留学を決めていた。

「順子は外では姉御肌だったようですが、家の中ではお母さんに甘える子でした。妻も1年留学すれば大人になって帰ってくるかと期待していたんですが」

 しかし、旅立ちを2日後に控えた順子さんの夢は、無残にも打ち砕かれた。

時効廃止で新たな希望

 事件発生後、残された家族3人は、ママさんバレー仲間の家に1週間宿泊させてもらった。自宅が焼けてしまったためだ。その後は、付近にアパートを借りて過ごしたが、幸子さんはショックから立ち直れず、病院のカウンセリングへ通った。

 自宅で発生した未解決事件の場合、現場保存の観点から、自宅をそのまま残す遺族も少なくない。賢二さんも、当初はそうする予定だった。

「犯人が捕まったら、あそこへ連れて行こうと思って残すつもりでした。でも火事で焼け落ちて雨ざらし。老朽化も激しくなるので、1年半後に泣く泣く取り壊しました」

 その費用100万円は自己負担で、しばらく更地の状態が続いた。

 転機が訪れたのは、時効まで1年後に迫っていた2010年春。殺人など凶悪犯罪の公訴時効の廃止や延長を盛り込んだ改正刑事訴訟法が成立したためだ。賢二さんが会長を務める殺人事件被害者遺族の会「宙の会」(事務局・東京都千代田区)が、署名活動やメディアに訴えた結果だった。

「世の中の盛り上がりを感じました。われわれの組織以上の力がはたらいた。世間のみなさんに感謝しなくてはいけない。何か社会に還元できないかと、現場の土地を提供するに至りました」

 こうして消防団の格納庫、順子地蔵が建立された。花壇も作られたため、現場に足を運べなかった幸子さんも、花に水をあげる楽しみができた。幸子さんは今も毎朝晩、自分たちが食べるのと同じ食事を仏壇にお供えする。

「時効が撤廃されたことで、われわれ被害者遺族が犯人逮捕への夢を持ち続けることができた。未解決だけど、いつか必ず犯人が特定される日がくると確信しています。その日まで絶対、犯人逮捕という夢は捨てずに、これからも生きていきます」

 そう語る賢二さんの目は、決意に満ちていた。

(取材・文/水谷竹秀)


【PROFILE】
水谷竹秀(みずたに・たけひで) ◎ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。

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