河合奈保子&柏原芳恵デビュー40周年、4つの共通点と同期・松田聖子にない「実績」

週刊女性PRIME / 2020年8月7日 21時0分

(左から)河合奈保子、柏原芳恵

 2020年にデビュー40周年を迎え、今なお“永遠のアイドル”として活躍し続ける松田聖子。彼女がデビューした'80年は、聖子とさまざまな面でトップを争った田原俊彦のほか河合奈保子柏原芳恵三原順子(現・じゅん子)、岩崎良美、さらにアイドル以外では松村和子山下久美子など、デビュー後2、3年でブレイク(TBS系『ザ・ベストテン』やオリコンにTOP10入り)する歌手が大量に出現する、大豊作の年でもあった。

 そのなかで、5年以上にわたってTOP10入りを果たした女性アイドルが松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵の3人だ。聖子はいまだに特番が組まれるほど国民的アイドルとして認知されているが、奈保子と芳恵については、長期的に支持されていたにもかかわらず、あまり紹介されていないのではないか。

 そこで今回、聖子という絶対的エースが君臨し、また、その2年後には中森明菜や小泉今日子をはじめ強力なメンツが次々とデビューするなかで、奈保子と芳恵が“アイドル戦国時代”をどうサバイブしてきたのか、改めて2人の活躍ぶりを追ってみたい。

“ナオナオ”、“ヨシヨシ”と呼び合う関係

 まず、共通点を見ていこう。第一に、奈保子が'63年7月24日生まれ、芳恵が'65年10月1日生まれで、どちらも大阪府出身であること。テレビではほとんど関西弁を話さなかったが、2人の愛嬌のよさは関西出身であることが関係しているのかもしれない

 第二に、オーディション出身であること。奈保子は西城秀樹の弟・妹分を募集するオーディションでの優勝を経て、芳恵はテレビ番組『スター誕生!』(日本テレビ系)のグランドチャンピオンを経て、ともに'80年6月1日にデビュー。1stシングルはそれぞれ『大きな森の小さなお家』と『No.1』だが、両者とも単なるビジュアルだけではなく、歌唱審査で高評価されたことも大きな決め手となっていることが、2人の長期的な活躍に少なからずつながっている

 そして、ともにグラマラスな体型であったことも多くの人の記憶に焼きついているのではないだろうか。ほかの同期ではなく、この2人を組ませたグラビア特集が増え、互いに“ナオナオ”、“ヨシヨシ”と呼び合う関係になっていったのは自然なことだろう。

 さらに2人は、“デビュー2年目に本格的にブレイクした”という点も共通している奈保子はデビュー翌年の5作目シングル『スマイル・フォー・ミー』でオリコンTOP10入りを果たして以降、合計21作品がTOP10に入っている。本作は、彼女の明るさを存分に発揮したノリのいいポップスで、'15年にレコード会社で実施された人気投票でもシングル部門第1位を飾った代表曲だ

 対する芳恵は、7作目のシングル『ハロー・グッバイ』で初めてオリコンTOP10入りしたのち、合計18作品がランクイン。もともとはアグネス・チャンのシングルB面に収録されていた楽曲だが、芳恵の歌声が醸し出す若さと翳(かげ)りの絶妙なバランスや「紅茶のおいしい喫茶店~」 というキャッチーな出だしもあり、ブレイクを果たした

 このように、何かと共通点の多い2人だが、逆に決定的に異なるのは「パブリック・イメージ」だろう。

体重バレ&歌妨害でも笑顔の奈保子

 奈保子は、まさに健康美の象徴的存在だった。その愛くるしい笑顔と何でも「ハイ!」と元気に返事してしまう屈託のなさが印象深い。かつて黒柳徹子から「あまりハイハイ言うんじゃありませんよ」とたしなめられた直後、また「ハイ!」と答えてしまうほどのおてんばさを見せつつも、いざ歌い出すとその丁寧な歌唱でファンを魅了した。実際、レコーディングにおいては初見でも楽譜が読めたそうで、数年後にはコンサートでピアノ弾き語りをするなど、早期から音楽的才能を開花させていた。

 ビキニの水着が映えるプロポーションでありながらハツラツとしたキャラクターで、初期の奈保子のシングル曲に「ふるえる胸の奥の奥なの」(『大きな森の小さなお家』)、「胸がキュンとなるの」(『ヤング・ボーイ』)、「感じてマイハート この胸は」(『17才』)、「もっと愛を教えて そうよ ときめく胸に」(『スマイル・フォー・ミー』)、「不思議な胸さわぎ」(『ムーンライト・キッス』)など、デビューからの9作品中、7作もの歌詞に“胸”をそれとなく登場させたのは、単なる偶然ではないだろう。

 もっとも、当の本人は胸もとより体重を気にしていたらしい。'83年に放送された『ザ・ベストテン』では、聖子と奈保子が同じ体重計に乗り何キロになるか、という恐怖の演出が。2人の合計は90キロ台後半と出たが、後日『笑っていいとも!』(フジテレビ系)にて聖子が「(私は)42キロ」と明かし、おのずと奈保子の体重が50キロ超だと答え合わせされてしまった事件もあった。そんなことがあっても、誰を責めることもなく、八重歯を見せながら笑顔で乗り切るキャラクターもまた、彼女の大きな魅力だった。

 全国キャンペーンや両A面の効果で初のオリコン1位となったシングル『デビュー』をNHK紅白歌合戦で披露したときのハプニングを憶えている人も多いだろう。彼女の前に歌唱していた男性歌手が火気を伴うド派手なパフォーマンスをやらかし、結果的に奈保子の登場を妨害。楽曲の頭サビ部分が歌えなくなってしまったのだ。しかし、これについても彼女からネガティブな発言は一切なかった。

 それでいて、音楽的には目覚ましく成長を遂げたのも彼女のすごいところだ。'82年に竹内まりや作詞・作曲のバラード『けんかをやめて』がヒット。'83年には中森明菜の『少女A』を手がけた作詞家・売野雅勇と大御所の作曲家・筒美京平を起用した「胸の鼓動を素肌に感じるくらい抱きしめて」という挑発的な歌詞の熱唱型ポップス『エスカレーション』で、自身最大の累計売上げ35万枚以上を記録

 '84年にはデヴィッド・フォスターら錚々(そうそう)たるミュージシャンが参加した海外録音アルバム『デイドリームコースト』を発売するなど、アーティストとしての意識も高めつつ、'86年にはついに全曲自作のアルバム『スカーレット』を手がけた

 一方、芳恵はといえば、常に実年齢以上の色気をまとっていた。当時、ひらがな名義の“柏原よしえ”で歌った『No.1』では、わずか14歳ながら、ナナメ45度に身体をくねらせた肩越しから独特な憂いのある色気を放っている。それが、'90年代以降の写真集やイメージビデオでの活躍にもつながったのだろう。

 '82年の17歳の誕生日に“柏原よしえ”から本名の“柏原芳恵”表記に変更して以降は、谷村新司や宇崎竜童、松尾一彦(オフコース)、松山千春など、シンガーソングライター提供の楽曲路線に挑む。

天皇陛下から芳恵にバラのプレゼント

 なかでも、'83年にリリースした中島みゆき作詞・作曲の『春なのに』は「春なのに お別れですか」という哀しい歌詞とマイナー調のメロディー、服部克久によるオーケストレーション、何より切ない恋心を芳恵が繊細に表現することで多くの共感を呼び、累計売上げ38万枚以上の『ハロー・グッバイ』に次ぐ大きなヒット(累計33万枚以上)となった今でも春先になると音楽配信やカラオケなど各チャートで上昇する卒業ソングの定番となっており、まさに“記録と記憶のヒット曲”といえるだろう。

 ちなみに、中島みゆきが作詞・作曲の両方を手がけた楽曲でもっとも多くTOP10級のヒットを出したのは、研ナオコでも工藤静香でもなく、柏原芳恵だ(『春なのに』『カム・フラージュ』『最愛』『ロンリー・カナリア』の4作)。

 その後、'85年9月には当時19歳にして不倫ソング『し・の・び・愛』を歌ってオリコンTOP10入りを果たし貫録を感じさせたが、それを先輩格だった高田みづえの結婚披露宴で「抱いて抱いて抱きしめて」と色っぽく歌ったことは衝撃大。いくらプロモーションの時期とはいえ「なぜ結婚式で歌うのか。まるで高田の夫・若島津の愛人かと誤解されるのでは……」とハラハラしつつ、その肝の座り方には感心したほどだ。

 '86年秋には、かねてからファンを公言されていた浩宮徳仁親王(現・天皇陛下)がリサイタルで芳恵に一輪のバラを贈られたことも大きな話題に。'87年にはレコード会社移籍第1弾としてリリースした『A・r・i・e・s』をジュディ・オングばりの白い孔雀風ドレスを着て熱唱していたので、いつかジュディとの共演などがあれば、おもしろい気もする。

 最後に、2人のシングル総売上げを比較すると奈保子が約430万枚、芳恵が約350万枚(オリコン調べ、デュエット作を含む)。いずれも400万枚前後だが、奈保子はアルバムセールスも200万枚以上とアルバム・アーティストとして高く評価されたのに対し、芳恵は有線リクエストで『ハロー・グッバイ』『春なのに』『カム・フラージュ』『最愛』の4作が年間TOP100入り。その光と影の双方を感じさせる歌声が街中に浸透していったと考えられる。

 奈保子は'96年の結婚、翌年の出産を機に芸能活動を休みつつも、'06年に彼女らしい優しいメロディーのピアノ・インストゥルメンタル集『nahoko 音』を発売。さらに'12年には彼女の真骨頂であるライブビデオをDVDで復刻し、週間TOP30に5作も同時ランクインと、人気絶頂だったAKB48に並ぶ記録を打ち立てた。また、'16年には写真集『再会の夏』が現役勢に交じって週間TOP5入りをするほどの人気。その純粋なキャラクターは、平成のアイドルファンをも釘付けにしているのかもしれない。

 芳恵のほうも、'90年代はビデオや写真集を多数発表しつつ、'00年代から再びオリジナルシングルやカバーアルバム3作を発売。切なく甘い歌声は健在だ。'20年には本人作詞のデビュー40周年記念シングル『KU・ZU~ワタシの彼~/ A・RU・KU』を発売し、10月には40周年記念コンサートも予定。今なお現役歌手として活躍している。

 このように、奈保子と芳恵は聖子ほど目立った脚光は浴びないながらも、その愛されぶりはとても高く、音楽シーンにおいてもそれぞれの個性を発揮し、“実力派”と呼ぶにふさわしい活躍を見せた。昭和ポップスが見直されている昨今、テレビで見かける以上に多くの実績を残したといえる2人の楽曲を今一度、楽しんでみては? きっと、新たな魅力に取り憑かれるはず!

(取材・文/音楽マーケッター・臼井孝)

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